Pages

Monday, August 27, 2012

ブログ移動のおしらせ!

ブログ、移動しました。

http://rasayanamantra.blogspot.jp/

Thursday, July 19, 2012

019. 映画「ヘルタースケルター」、そして2012年の狂気とは



原作の漫画が好きというのは言うまでもなく、世代ですから、という感じなのだけど、蜷川実花さんが監督というニュースのあとに、岡崎京子さんの「原作に忠実に行うのも、演者の体内を通してどのように変貌するのかも、受け入れる準備は出来ている」というコメントを読んだので、そこにリスペクトが行ってしまっていたところがあります。
なので蜷川節とかアートワークがセンスがディレクションが世界観が、そういった話はあまり問題ではないかなーと。

というのをふまえて、さて、観ての感想です。


まず、岡崎さんは、ひとりの女性の狂気を描く人だと思っているし、確か本人もそう言っていたハズ。
でも、この映画に狂っているひとはひとりも出てきません。どうしてなのかな?と思うわけです。


細かくはいろいろあるのですが、大きくはふたつ。

ひとつは、このテーマが2012年に向いているものかどうかが少々疑問だということ。
美しさに執着し、全身整形してトップに立ついじらしい女の子のお話、なわけですが、はたしてこういう女の子が今メディアに登場したとして、全身整形なんだって!ありえない!!ってなるのでしょうか、というのが疑問。
全身整形なんてじゅうぶんあり得る2012年、なわけです。
全身整形そのものについては、原作の時代よりも今のほうがぜんぜんリアリティあるよなーとは思います。だからこそ、クリニックの存在や全身整形に踏み込む覚悟みたいなものが「とてつもないもの」にはなり得ない。そこに違和感がありました。技術的にも、精神的にも、もっと簡単に気軽にできるものなんでないのかなーと思ってしまう。だからどこかしらじらしい。原作を読んでいる(リアルタイムで)私はもう、初見で接することはできないわけで、今の若い子たちはこのテーマをどう見るのかな、と思ってしまいました。


もうひとつは、原作への忠実さ。
蜷川さんは、きっと、本当にこの原作が好きなんだろうなというのが痛いほどわかりました。ヴィジュアルや世界観などの「蜷川的なところ」を省いて見るならば、そこにはよくも悪くも原作がどん、と鎮座していました。
かなり忠実に台詞なども再現されている、のです。(ここ小出裕章さんテイストで発音)
で、それが結構無理あるんだなー。ということに気づいてしまった。私は岡崎さんの漫画のなかでも特に「ヘルタースケルター」は映画のような漫画だなと思っていて、それはややミニシアター的というか、ヌーヴェルバーグというか、まぁなんでもいいんですけど、コマ割りとか展開のしかたがすごく映画っぽくて、そこが好きだったんですね。
でも、やはり岡崎さんの漫画の台詞というのは「文字」なんだな、と思いました。映像ではない、生身の人間が話すものではないのだなと。結局「詩」なのかなと。
いちばんそれを感じたのが大森南朋なんですけど、彼の扮する検事はどちらかというと若き日のオザケンのようなーーなんかこうちょっと無機質で、結局、こんなキャラ実在しないよね的な男性なんですよね。そういう人は「ようこそ、タイガー・リリィ」とか「僕の子猫ちゃん」とか「ごめんねハニー」みたいなこと言っても普通なんですけど(この台詞が劇中にあるわけではないです、イメージね)、生身の人間が言うとやっぱりちょっと無理あるなぁというか。別に言ってもいいけど、お芝居になっちゃう。そこはリアリティ持たせるために工夫してもよかったのではないかなと。大森南朋は演じるの大変だっただろうな、と思いました。

唯一原作と大幅に違うところが寺島しのぶ扮するマネージャーのキャラで、この人すごく不思議でした。全然感情移入できないニュータイプ。漫画っぽいわけでもなく、生身っぽくもなく。いちばん人工的でリアリティのないキャラはこの人だったなのではないでしょうか(寺島さんの演技はお上手です)。

その割に、人間関係や感情は希薄に描かれていて。たとえば、原作では屋上でキンちゃんがりりこを説得する場面があるのですが、そこもうちょっとやってほしかったな、とか。場面は出てくるんだけど情的なものがあんまり出てこないんですよね。記号的なのは出てくるんですけど。セックス、暴力、ドラッグ、叫び、涙、そういったものをカタチとしては見せるけど……というか。音楽がこれ、映像がこれ、セットがこれ、衣装がこれ、そういったセンスはもう「受け入れる準備は出来ている」の言葉が印籠となって何を言うつもりもないんですが、PV的になってしまっているのは非常に残念で、そっちの方向で原作に忠実になられても困っちゃうなーという感じがありました。

最後のシーンもちゃんと描かれてるんですが、こーいった解釈ですか??? て感じで。これじゃアメリカ映画ではないの?岡崎さんのフレンチテイスト入れなくていいんですか?みたいなのは気になりました。


それから狂気のシーンはディズニーランドみたいで、やっぱりリンチの足下にも及ばないというか、日本のキッズ向けに作ったのかなぁ?ってなんかだんだん冒頭と矛盾したことを言いそうになってきたのでこの辺で。


それから、間違いなく沢尻エリカは命がけでこの映画に挑んだのだろーなーと思うし、実際すごくまじめな人なんでしょうね、この人。それが役にもぴったりだった。「持って生まれちゃった人」こずえ役、水原希子との対比はナイスキャスティングです。


DVDで観る価値はあまりない映画と、個人的には思います。ので、観たいかたはぜひ劇場で。


Tuesday, April 3, 2012

018. 陰謀説にも飽きましたね。

いろいろなところからいろいろな声が聞こえる。という感じの時代ですね。
こうすべきという正しい一本の道があったとしたら、みんなとっくにそっちに進んでいる。

なにかひとつのものに対して、盲目的になることが苦手。
客観的なものの見かたをするのは好みなんだけど、俯瞰は苦手。
家族とそれ以外のひとに線引きをすることが苦手。

わたしには、わたしの道しかない。
でも、わたしの道がある。


Monday, January 16, 2012

017. まさこちゃんの、わたしたちの、新世界






まさこちゃんの写真展が行われている。

その前から彼女のブログをちょこちょこ読んではいたものの、まさこちゃんと出会ったのは去年のこと。「写真家・中川正子の311以降」といった部分がすごく強いイメージだったので(詳しくは彼女のブログを読むとわかると思う)、実際会ってお話したときに、なんてきらきらした素敵なひとなんだろう!と感激したのをおぼえている。というか、名刺を出されてはじめて、え!?中川正子さん??と驚いたのだけど、実は。
会ったのはmurmur magazineのパーティだったので、その空間じたいが特別だったし、ばんばんいいエネルギーが流れてて、初対面なのにみんなで館岡先生のワークショップをやったりして。あれはおかしかったな。

まさこちゃんはまずモデルさんですよね?て感じの大変美しい容姿なのだけど、いつも明るくエネルギッシュで、まっすぐで、愛するものを大切にしている、とっても素敵なひとで、会うたびにいつも「まさこちゃん、好きだな〜!」て気持ちでいっぱいになります。

こんなことを言ったら失礼かもしれないのだけど、アウトプットされたものだけをポンと見て、「まさこちゃんの写真、いいよね~」みたいには、私は絶対にならないと思う。まさこちゃんがどんなひとで、どういう気持ちで日々いろいろなものに対峙して、どんな気持ちでシャッターを押しているか、そういうところもひっくるめて好きなのだよね。正直、写真じゃなかったとしても、私は彼女の表現を好きになっただろうな、というか。なんとなくそんな風にずっと思っていた。
今回の「新世界」、会場に入るとまずまさこちゃんの言葉がある。それを見て、ああ、やっぱり私が考えていたことは、間違いじゃなかったんだな、と思った(これはネット上にもあがっている文章だと思うけど、ぜひ会場で読んでほしい)。私は彼女じたいが好きなんだなって。

しかしその30秒後には、私は「写真というものでしかありえない中川正子」を目の当たりにすることになる。写真じゃなかったとしても…なんて考えていた自分を恥ずかしく思ったし、ほんとに、命がけでシャッターを押しているまさこちゃんがばしばしと伝わってきた。
常々、まさこちゃんが命がけということは感じていたのだけど、それはサイくん(今回の主役でもある、まさこちゃんの息子)や旦那さんという「守るべきもの」に対する、母親とか女性としてのまさこちゃんによるものというイメージを持っていた。必死で、覚悟をもって、人生をサヴァイヴしているというか。もちろん愛をもってして、なのだけど、強くないとできない、少し刹那的な…そういった感じの。

だけど、ぜんぜんそうではなかった。彼女の写真は…なんというか、世の中はすべて愛おしいものだということを語っていた。彼女の写真は(本来写真とはそういったものだけど)二度と訪れない一瞬をとらえるもので、それはほんとうにほんとうにその一瞬にしかありえない風景なのだけど、だからこそ愛おしい、とかそういうことではなく、変化していくことそれじたいに対する愛おしさ、がそこには込められていた。それはサイくんの写真であっても、花の写真であっても同じ。その瞬間を越えたら、それはもうそこにはない、それは儚いことでもなんでもなくて、それこそが生きているということであって、でもだからこそかけがえがなくて美しいのだ、という感じ。

もう時間がない、だから気づいて、とまさこちゃん(の写真)は言っている。目の前のものをめいっぱい愛することしかない、もう、世界は新しくなっているんだよと。
特に私は、咲き誇ったあとの花の写真や、水に自転車が沈んでいる写真が素晴らしいと思った。結局、人間は自然の一部だし、生きていること、変化すること、故意に飾ることや醜いとされていることまでも…なんでもかんでも美しいんだよね、というか。
すべてを受け入れて愛していると言えるひとは、実際にはどれだけいるのだろうか。でも、確実にいるんだよね。そういうことに感動してしかたがなかった。

311以降、なにもかもがかわってしまった、というひともいれば、結局のところなにもかわっていない、というひともいる。さらには、そんなこと考えたこともないよ、というひともいるかもしれない。別にそれは、どうだっていい。だけど私は「なにもかもがかわってしまった」と実感しているひとりだし、私の中の何かがすっかり違うものになってしまった感覚がある。それは絶望や嘆き、諦め、恐怖、そういったものではなく、かといってポジティヴという言葉ではどこかしらじらしい、そんな何かなのだけど。

まさこちゃんの写真を見て思った。
それは光なんだなって。

ぜひ、見に行ってください。21日まで!

中川正子 写真展『新世界』

2012
年1月13日(金)— 1月21日(土)12:00-20:00
13
日のみ18時まで。

会場:valveat81
   107-0062港区南青山4-21-26 2F
   TEL 03-6406-0252



Tuesday, January 3, 2012

Live Flesh, NEW YEAR 2012



決して忘れてはならない2011年をこえて
まったく新しいことが求められる2012年
本年もどうぞよろしくお願いいたします

 AYANA


Friday, December 30, 2011

2012年へ

ぜんっぜん書いてないじゃん!このブログ!という感じですが、
2012年はもう少しアレしたいと思います。ほんとに。

で、最近関わらせてもらった諸々については、年度末にまとめてご紹介したいと思っておりますが、
こんなブログをはじめております。

A THOUSAND LEAVES beautiful reasons why we love organic cosmetics

正直、個人的にはもうあたらしい年が始まっちゃってるような感覚なのですが、
みなさまよいお年をお迎えください。

愛を込めて。

あこがれのチャッキーさんがお正月アイコンつくってくれました。ムフ。

Monday, December 26, 2011

016. 12月のカーテンコール


今年のクリスマスは、とても楽しみにしていたharuka nakamuraのライヴだった。
とにかく今年はいろいろあったから(今年いろいろなかったひとなど、誰もいないだろう)、はるかくんのライヴでも行かなければ次に進めないというか。

震災後、はるかくんとお蕎麦を食べながら(思えばこのひととはいつも蕎麦を食べているような気がする)、私たちにできることってなんなのかね、みたいな話になったのをよく憶えている。

結論は、私たちにできることをする、だった。

はるかくんは、私から見ると、音楽を奏でるためにうまれてきたひとのひとりで、音楽を通してできることをするというのはとても理にかなっているように感じる。実際はるかくんの音楽から希望をもらったり、勇気をもらったりしているひとは沢山いるだろう(それは石川さゆりだって同じことなのだけど)。
震災前と震災後で、わかりやすく生きかたや表現方法などのアプローチががらっと変わったひとというのも多いと思う。それはそれで、尊敬に値することも。でも、そういうことではなくて……というのが私たちの共通の見解だった。
もちろん、震災前に戻ることなどできない。
でもぐるっと一周考えて、目の前にあることをやるというのは、ただ生きるとか、つらいことから目を背けるとか、自分さえよければそれでいいとかいうことではない。むしろ真逆で、その覚悟をもってやるということだ。

私は私で、その後仕事をやめた。で、私なりに「震災後」と向き合って日々過ごしている。まぁ、私の話はどーでもいいですね。

はるかくんは美しいひとだ。美しいものが好きなひとだし、スタイルを持っていてとても丁寧。そして、揺るぎがない。その強靭さを保つための並大抵ではない努力があるだろうし(あるいは、本人にとってそれは努力ではないのかもしれないけれども)、アスリート並みの日々の基礎練が必要とされる。わかりやすい運動メニューとは違った精神の基礎練だ。それを彼がどのように行っているかは隅々までは知らない。けれども、いつも私は、自分の内側をととのえること、自分から出るもの(言葉ひとつとっても)に細心の注意を払っていること、そういうものをはるかくんから痛いほど感じる。

だからこそ、そういった姿勢や彼の表現に拠り所を求めるひとがたくさんいる。

そんなわけで、私にとって今年の年末にはるかくんのライヴをみることは(とってもくだらないことも含めて)いろいろあったことへの浄化や救いであり、同志はがんばってるかねという戦友のような心持ちでもあり、単純にはるかくんのいちファンとしての楽しいイベントでもあったわけです。





JanisからAspidistrafly、CANTUS、そしてはるかくんの順番で、どれもとても素晴らしかったのだけど、私はとにかくAspidistraflyのAprilにやられてしまった。エフェクター切らずにしゃべるMCも含めてすばらしかった。こんなに細くてかわいらしい女の子のどこから、こんな表現が出てくるんだろう? と驚きっぱなし。彼女はシンガポールでKITCHEN. LABELをやっている張本人。あらゆることのセンスに一貫性があって、そのスタンスや美しさ、そして何よりも丁寧さは、はるかくんのそれと重なりまくるのですが(それはサイトを見ると明らかだと思います)、なんか本人を目の前にして、すべてに納得がいったというか。一本の糸で繋がった感じ。

「はるかくんとその愉快な仲間たち」という感覚で挑んだ12月のカーテンコール、だったけど、そこはKITCHENの空間だった。KITCHENは、まるで日本庭園や懐石料理みたいに、異素材がぴったりとはまったジグソーパズルみたいに、過不足なく、一枚の絵として、物語としてそこにあった。

私はあんまり美しすぎるのは苦手なところがあって(グランジだから)、KITCHENもどっぷり浸かることはないだろうというか、すごいロマンチックだと思っていて、アンティーク調なガーリーも苦手だし、そんなものかなって先入観を持っていたけど、本当にごめんなさい!て感じ。
私はいちばん好きなミュージシャンてTara Jane O'Neilなんだけど、その先(というかオリジン)にはJudee SillやJoni Mitchellの存在があるわけで、そういう自分のルーツみたいなのともシンクロしたし、丁寧であることに対するリスペクトというか、あーこのひとがやってるのか、KITCHENを…。とすっと腑に落ちました。


はるかくんのライヴは、自分が自分がって出る感じではなく、みんなに感謝を、という調和的な内容だった。
ピアノの一音と全世界の空気が等価というか、ね。そこで演奏しているはるかくんと、それを聴いているみんなが等価だった。早稲田スコットホールの内側と外側が等価だった。日本と世界が等価だった、という感じ。
ホスピタリティとはまたちょっと違うのだけど、これが僕なりの答えだし、それは愛だと思います、というのが聞こえる感じがした。

KITCHENの音をこの空間で、クリスマスに楽しめるというのはそれだけで贅沢な感じのするものだけど、あまりにもいろいろなものが等価すぎて、私は何よりもそこに感動しました。

それからJanisとはるかくんの違いというか、同じピアノでもぜんぜん違うんだなーとアホみたいなことを今更ながらしみじみ考えてしまった。女は強し、です。(私は 'SOLITUDE' が大好き)

ほんとに。
いろいろありましたね。今年は。
そのひとの内側のものが露見しまくった1年だったな、と思う。みんなそれぞれに自分なりの答えをもって、来年に向かうのだろうな。
まぁほんとにいろんなことがあったけど、感謝しか出てこない。来年はもっと具体的に、今年露見したいろいろなものを活かしてアウトプットしていきたいなと思います。

素敵な夜をほんとうにありがとう。はるかくん、いつもありがとう。

Saturday, October 22, 2011

015. VERSACE for H&M

先日ちょっと通りかかったので渋谷のH&Mに入りました。
すっごく楽しかった。オーガニックコットンの下着ももちろんチェックしつつ、色々なものを見ました。で、改めて考えたのだけど、H&Mにしかないワクワク感(死語?)ってあるなと。
デザイナーとのコラボもはじめたのはH&Mだったように思う。そのセンスとか、素材の安っぽさとかも含めて、とってもいい感じなんですよね。たとえば+Jなんかはもうすごく安定感あるし、ここまでのクオリティが出せるんだ!っていう驚きがあったりするんだけど(ファクトリーブランドやスポーツブランドがやるデザイナーとのコラボもしかり)、H&Mは、そーゆー驚きが全然ない。潔いダメっぽさがある。
日本人、これ無理だろ、みたいなアイテムも普通にある(けど、それを可愛く着てる子が店内に居たりする、アメアパ的衝撃も体験できる。日本のブランドにはそういうことって絶対にない)。
なんというか、儚いガーリー感みたいなのってありますよね。「ひなぎく」とか「blue」でもいいんだけど、あと「The Virgin Suicides」でもいいんだけど、絶対に終わりがあるっていうか、賞味期限がある。花でもいいです。1週間と持たない。枯れてしまう。でも、だからこそ、というか。
そういう感じがH&Mにはあるなって思います。
刹那的なワクワク感というのかなー。

そんなH&Mが次に選んだコラボ相手がVERSACEってことで、結構びっくりしたんだけど、これめちゃくちゃ格好良くない?








うおーーーー。超素敵なんですけど!
イメージヴィジュアルも、往年のAvedonやMeiselによるVERSACE広告の模倣満載で、さすがのMert&Marcusによるもの(このひとたちの「コピー」ぶりは素晴らしい、なんというか、Meiselがカヴァーバンドなら、Mert&Marcusはコピーバンドって感じがする。でもMert&Marcusにしか作れない、ってなるからスゴイ)。
VERSACE for H&MはVERSACEのコピーだもんね、ということでしょうか?ちなみにスタイリストはJoe Mckenna。
なんか、いわゆるファストファッションで、力の抜け具合とセンス、本気度とウィット、そういうバランスが最高なのって、やはりフランスだからなのかなぁ。ファストファッションというのはもう死語かもしれないけど、安くあのデザイナーの服が買える!みたいなのの先を行っている感じがします。

個人的にはこの辺着てみたい。




しかしこのふたりのモデル(AbbeyとLindsey)、今ばく進中ですね。特にLindseyはTerry Richardsonとの組み合わせがすごく目立つ!あと、上3枚のキャンペーンイメージの3番目、Sashaみたいです。見えねー。

Tuesday, October 18, 2011

014.

ひとの役にたちたいということと

だれかに必要とされたいということは

同じようで全然ちがう


Thursday, September 29, 2011

013. 踊り狂いて死にゆかん


角度を変えれば美女もこうなるね


さっき、シャワーをあびながらじぶんの顔を触っていてふと思った。
この顔は借り物だと。

私たちが持つからだ(物質部分)は、
ちょうど庭で育てている植物のようなものなのではないだろうか?

せっせと水をやって、話しかけて、慈しみながら育てるような。
まぁ子どもでもいいんですが、自分が出産経験ないのと、子どもっていうとまた所有の問題とか人によって色々そうなので面倒だからここでは植物としておく。

自分の顔が美しくないとか、誰々のようになりたい(スタイルもしかり)といった欲求が、そもそも「そーいうことじゃないんだよね」って話になる。

でも、そういうことなのではないのかな?

私は幼少の頃、ぬり絵が大好きだったのだけれども、ぬり絵って、絵に色を塗るんですよね。
当たり前すぎることだけど。
それって、絵はもう決められているってことなんですよ。そこに色を乗せていく。
でも、どの色で塗るかは完全に自由。色鉛筆でもうひとつ手を足したっていい(やりたければ)。すべて真っ黒にして、もとの絵を見えなくしてしまうこともできる。
でもその下にあるもともとの絵がそこにあるという事実は消えない。

わたしたちの持って生まれた「ガワ」もそんなようなものじゃないのか。

植物も一緒。肥料を与えたり、鉢を変えたりして、どれだけおおきく育てるか、葉っぱは切り落とすのか、日にはあてるのか、そういうことは完全に育てる側の自由。
でも
オリーブの木がバラの花を咲かせることはない。

水をやる側、色を塗る側が本当の私なのであって、対象であるオリーブの木や、ぬり絵や、顔っていうのはただそこにあるだけなんだよね。

だから何なんだって話なんですけど、うちのオリーブの木、ほんとにブサイクでさ〜、とは言わないわな。育て方に責任あるし、そもそも育てるって決めたのは誰?って話で。
そもそも、そこまで執着しないだろうというか、自分とは別という切り離しがある。ぬり絵なんて、もっとそうですよね。

もっと自分から切り離して、自由にしていいのだろうな、と思う。

ま、こんなこと言ってないで原発のこととか考えろよって感じなのですが、私なりに考えております。オワリ。

Wednesday, September 21, 2011

012. スリランカで




信頼するものがある
ということは
そのひとの人生をとても左右する

ほんとうに自由なひとは
自由についてなんて考えない

だれのものでもないものを
みんなでわけあって
おいしいねと笑って
すべてに感謝する

わかっている ということは
ひけらかすものではなくて、あたりまえのこと

目に見えないものと
目に見えるもののあいだに
どれほどの違いがあるというのか

Friday, July 29, 2011

011. かっこいい人。

林文浩さんと原神玲さんが亡くなった。

日々色々な人がこの世に生を受け、この世から去っていくわけなのだけど、
このふたりと、アレクサンダー・マックイーンに関しては、とても自分のなかで動揺があり、受け入れられないものがある。

愛すべきくだらないことをして、ひとを(そして自分を)好きになったり嫌いになったりして、傷つけたりゆるしたりして、もうそういう人生というものが全体的に奇跡的に成立しているし、大切なひとは大切にしなければいけないなと思いました。明日どうなるかわからない。

ひとの死、ということについて考えるとき、私にとってとても大きな意味を持つのがなぜか深沢エリサさんとmariaさんというふたりの女性。長年一緒に暮らしていた祖父や、恩師である植村秀氏などよりもまず思い浮かぶのがそのふたり。どうしてなのかなと思うのだけど、前者の2人は私の中で「寿命を全うした人」だからかもしれない。
それは死因とかって問題ではもちろんなくて、うまく説明できないのだけど、どうしていなくなってしまったの?まだやってほしいことがたくさんあった。っていう無念の気持ちでいっぱいになってしまう大好きな人が、絶対的にこの世からいなくなってしまうというのはどうしようもなくかなしい。
そういうことの前では血とか関係性は私にとってあまり意味を持たないのかもしれない。

林さん、原神さんも(そしてマックイーンも)私にとってそういう人なのだと思う。

どんな亡くなりかたでももちろん寿命は全うしているのだよね。だから結局言えるのって「ありがとう」になってしまうし、死って当人よりも残された人にとっての課題というか、命題。死人に口なしとはよく言ったもので、それは今生の別れみたいなことではなく、普通の日常生活でも沢山あることだ。
死というよりも別れということがつらいのだと思う。きっと。でも、そんなの変だね。その後も繋がることなんて沢山あるし、だからやっぱり残された人がどうかということになるのかもしれない。

−−



で、林さんの話になるのだけど、私には「最も好きな雑誌はDUNE」という時代が間違いなくあった、たぶんMilk Fed.立ち上がりとかパルコのBaby Generation展とかBOSS HOG来日なんかの時代ではないかと思う、ので大学生のとき。当時は林さんより中島英樹さんがADだったので、そこに惹かれてたところもあり。DUNEによって色々なものが繋がったし、必ずヒステリックグラマーの広告写真のページが入ってて、これ撮ってる人は間違いないなと思ってた記憶。もちろんSofia CoppolaがRoyal TruxのJenniferを撮っていたりとか、Ellen Von Unwerthとか、Terry Richardsonは私ヒスの広告写真で初めて知ったと思う(当時Nikki Ubertiというモデルとつき合っていて、自分の彼女にハチャメチャなことさせて、というか一緒にやるんだけど、で、撮るっていう手法は衝撃受けました)。
じぶんの好きな人が出ていたら「あー私間違ってなかったんだ」と思ってたし、知らない人が出ていると「この人間違いないんだろうな」とか確認するみたいな、子どもっぽい見方もしていたと思う。今思えば完全に林さんの編集力、センスがいいということなんだけど、当時はそういうの全然わかってなかったですね。MarioとDavid SorrentiのすごさもDUNEに教わったし、ヒスの北島さんと田中宗一郎さんとの音楽対談なんかもあったり、とにかく信用している雑誌でした。
でも、載っているラインナップがファミリー感強い感じがしてだんだん買わなくなったのだよね。

このたび、4年ぶりに「Libertin/DUNE」としてリスタートを切り、THE LAST GALLERYも立ち上がり、だったのだけど、正直いつものDUNE節だなくらいにしか思っていなくて(だって表紙がソフィアで「SOMEWHERE/NEW YORK/TOKYO/RIO DE JANEIRO」って!)食指が動いてなかったのですが、林さんの訃報を聞いてものすごくショックで、ようやく見つけて購入しました。

結論から言うと林さんなんてかっこいいんだろう、ってことですね。

いい意味でまったく変わってなくて、今は私が当時より変わっているから、どうしてこの紙で、この構成で、この文字量で、っていうのが少なからず感じられて感動するというか。今の日本でこれをやることの意味とか。どうしようもなくやらなければいけない感じとか。そういうのが全部出ていて、そうだよねって。昔の私は見たままの情報しか得てなかったんだなって。反省しきり。

多分DUNEはDUTCHとかRaygunみたいな伝説の雑誌になるんではないかな、なんてバカみたいなことを思いつつ。色々なものをくれてほんとうにありがとうございます、林さん。

「SOMEWHERE」をもう一回絶対に観ること。

Sunday, June 12, 2011

010. ムッシュへのラブレター

アイデンティティ定まらぬまま、かなりお久しぶりです。お元気でしょうか?

この半年くらい、公私ともに、というか、もはや公私って何なのという感じですが、まぁ色々ありまして、まだ色々あり続けているのですが、そんな中でも最近は少し劇場で映画を観る機会に恵まれています。『ミツバチの羽音と地球の回転』を皮切りに、『ハーブ&ドロシー』『六ヶ所村ラプソディー』『ブラックスワン』『キッズ・オールライト』『100000年後の安全』『イヴ・サンローラン』……。いずれも311以降で、もちろん観かたによるのでしょうが、やっぱり自分の人生とのリンクを意識してしまう癖があって、そうなったときに、天命とは何なのだろうと考えずにはいられないというか。


それぞれの映画に対して思い入れがあるのですが、今日は『イヴ・サンローラン』について。





私はイヴが「デザイナーとして」大変好き(サファリ・ルックとモンドリアンの現物を見たときの衝撃は忘れられない!)なので、彼のアーカイヴを見れること、パーソナリティを知れること、いずれも興奮できてこの映画はとても楽しかった。とはいえ、どちらかというと俯瞰のイヴの伝記というよりは、ピエール・ベルジェがいかにイヴを愛し、支え、成功させたかという個人的な想いの入りまくった映画でした。終始。潔いくらいに。とはいえ-----というのか、ベルジェなくしてイヴの成功はなかった、といういいかたもできるのだけど、今の私には、やっぱり天命を全うする場合にはそれ相応の支援者が現れるのだな、というふうに見てとれた。もちろんベルジェにとってはイヴが支援者なわけで、なんだかとても素晴らしいな、と感動。

イヴは私が思っていた100万倍くらいセンシティヴで、とても弱い人だった。ブラック・スワンじゃないけれど、常に狂気と隣り合わせどころじゃなく、狂気のただなかというか、狂気と一緒に暮らしているというか、それはそれは想像を絶するものがあったのだろうなと思う。お決まりのドラッグにお世話になりつつ、それでも生涯にわたりあのように素晴らしいクリエイションを残してくれたことにはただ感嘆というほかない。知らない素晴らしい作品があふれるほどあった。本当に天才。





イヴが居なければそれこそトム・フォードも居なかっただろうし、21でDiorのデザイナーというのもすごい、マックイーンがGIVENCHYのデザイナーになったときや、ステラがChloeのデザイナーになったとき「こんなに若いのに!?」とか思っていたけどそれの比じゃないというか、もうとにかくすごい!ブラボー!って感じで。ボキャブラリー貧困ですみません。

個人的には若かりし頃のルル・ド・ラ・ファレーズが見れたことが嬉しかったのですが、ウォーホルやストーンズのメンバー、もちろんベティ・カトルーにドヌーヴ、歴代のスーパーモデルなどが登場するのと、マラケシュのマジョレル庭園も出てきます。良い時代だったのだろうな、って思う。

90’s以降のファッション業界の魑魅魍魎(とは言ってなかったけど)を嘆くシーンもあって、オートクチュールが命のメゾンには厳しい時代だろうし、イヴが今の世の中を見たらいったいなんと言うのだろう。というのは思う。カリ・ユガですからね。イヴが生きてた時代も別にカリ・ユガか。

という訳で色々言われている2012年を目前に、あまり時間がない、というのは最近すごく思っていて、もちろん「唯一、死は保障されている」わけですし、私はmariaのときに、どうしてあんなに素敵なひとがいなくなってしまうのに私は生きてるんだろう?と心から思ったし(恨んだと言ってもいいかもしれない)、それでも生きているならそれなりの何かがあるのかなというのはあるのですけど。はい。
ただもう311以前には戻れない、当たり前だけど。
あまり心配はしていないのだけど、加速することは必要だなと思っています。




YSL×NEWTONのマスターピース。
いつか何かを成し遂げたら、YSLのスモーキングで一杯やりたいです。がんばる。
ただ私はピラーティはそんなに好みじゃないのだけど。

Sunday, October 17, 2010

009. モロッコ!





先述のフランキンセンスのお香を探しに。というのもあり、なんとなく惹かれた。というのもあり、私も行きたい!と言ってくれた友達の存在もあり、あり、うーん、ありつつ、今となっては何で行くことになったのか、決定打的なものがちょっと曖昧ではあるのですが、行ってきましたモロッコ。

書きたいことは色々ありますが、この旅で色々思ったこと。を、140文字のTweetにまとめたのはこちら。

改めて「気が向く」って凄い言葉。疑って損しないより、信じて損するほうが自分の好み。それぞれの人に与えられている役割がある。初期衝動でどれだけ高く、遠くへ行けるか。上下ではなく、比較ではなく、自分の心の平安。求めるかどうかは別として、全ての物事に意味がある。


友達がすすめてくれた、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」を道中ずっと読んでいて、その影響も大きいです。

詳しくはまたおいおいに。ひとまず、少し写真をこちらにUPしましたのでご興味があれば。
travelsand_morocco_01


.

Saturday, October 16, 2010

008. フランキンセンスのちから


フランキンセンスについて書きたいと思いながら、だいぶ経ってしまいました。

フランキンセンスは、別名オリバナムや乳香とも言うのですが、低木で、樹脂からエッセンシャルオイルを取ります。瞑想系の深い香り。もともと樹脂系の香りが好きなのですが、特にサンダルウッドとフランキンセンスは格別。かなり癖になる香りだと私は思います。

で、香りが精神面に働きかける、というだけでなく、具体的にエイジングケアにも効果的なのですよね。ということで、私が長年、どうしてもリピートしてしまう化粧品のうちのひとつに(そういう化粧品、多くはないですが幾つかあるのですよね)、これがあります。

ニールズヤードのフランキンセンスナリッシングクリーム。

もう7年は使っていると思います。
このクリームの歴史は長く、25年くらい?本国イギリスでも(詳細忘れましたが)以前ベストセラーの賞を取っていました、確か。ちょうどエイジングとか気になりまくっていた時期だったのもあって軽い気持ちで買ったんですよね、最初は。ニールズヤードに限りませんが、特に7年前なんて、自然派の化粧品は効かない!が定説。すがる思いで買ったわけではないのは確かです。

このクリームは、とても「とまり」が良い。つまり、伸びが全然良くありません。使いはじめた頃は使用断念を考えたほど。って言うとどんなにボテボテなんだという感じですが、別にきしむとかゴワつく、あるいはベタつくとかではないです。ただ重いの。全然広がってくれない。でも、慣れてくると、両手で顔にピタッ!と密着させることができるようになってきます。
そして、その密着感が、結果、肌のリフトアップ的なものに実感としてあらわれるのです。これは驚きでした。

30歳を前にして、20代後半、ある日突然「肌のハリ」ってこういうことだったのか、と実感する日がやってきます。
それは、本当に衝撃的な体験です。(まだの方はお楽しみに♥)
英会話を勉強しつづけて、ある日するっと会得する瞬間(都市伝説じゃないよね?)とかもこういう感じなのかもしれません。
加齢による現象って、しみ、しわ、乾燥、色々あるけど、私の中で最もショックが大きかったのはこの「たるみ」ですね。あー重力ってほんとにあるんだなみたいな。それは凄く微妙でデリケートなものなんだけど、同世代の人(例えばケイト・モスやアンジェリーナ・ジョリー、シャーリーズ・セロンなど)を見てても、あ、やっぱセレブでも皮膚感は変わるんだなーとかしみじみしちゃったりして。

エイジングケアというのは、いつはじめても早すぎることはないし、遅すぎることはない。それはある意味間違っていない。でもたるみとは何ぞや?となったときに、体感しているかしていないかの差は大きい。それは、しみとかしわにはないことだと思う。そのへんは見た目にもわかりやすいから。
何というか、しみやしわは形状だけど、たるみは質感なのだよね。

まぁ全部ひっくるめて、加齢の現象というのはあまり歓迎されないものですね。でも、もちろんいつまでも20歳みたいなヴィジュアルだったら、それはそれで大変怖いわけだし、もっと「美しい歳のとりかた」を提唱するものがあってもいいのにとはいつも思っています。

で、フランキンセンスがエイジングケアをしてくれるという説は、心の奥深くまで届く香りだし、何だか納得で、ふむふむと思ったわけです。しみやしわは消えないと思うが。
で、香りがやっぱり最高。
もっと他にも、フランキンセンスを使った化粧品があったらいいのに。と、このクリームを使うたび思うのですが、実はニールズヤードの中にも化粧水やセラム、もう一種類のクリームなどあるんですよね。でもあんまり食指が動かない。何故か、このクリームだけ別格なのです。

Wednesday, September 22, 2010

007. speak forとSM展



昔からspeak forが好きです。

あれってもう10年前くらいのような気がするのだけど(最近何でも10年前って言っておけば大体合ってるんですけどこの現象は一体何なのか)、Big MagazineやBLESSの展示など、秀逸で勉強になるものが多かったなー。サイズ感やニュートラルな温度感、日本/海外のバランスとか物販の感じも含め、色々なものが「丁度良い」ギャラリーです。

ギャラリーってなかなかニュートラルな感じのものがない、ニュートラルというと語弊があるけど、モダンということかな?美術館は抵抗ないのに、ギャラリーになるとちょっと退いてしまっていた当時の私にとって、作品を売りつけられるとか、オーナーの好みが(よくも悪くも)反映されすぎているクローズドなスペース、という印象のある場所でした。今は色々ありますけどね。当時も色々あったのかもしれないけど…。銀座の資生堂のギャラリーくらいだったんじゃないですかね、好きなのは。

大学卒業して一週間くらいNYに旅行したことがあるんですが(家族で)、そのときSOHOをひとりで歩いて、こんなにギャラリーってかっこいいものだったんだって衝撃を受けたことがあります。美術館もしかりで、触るのも撮影もある程度自由だったりとか。日本はどうしても「名作を鑑賞させていただきます」「著作権発生しております」みたいな、一見下からの卑屈な目線というか。そういうのがベースにある場合が多くて、しかもそれが当たり前だと思ってたので、エーーーみたいな。

さすがに10年以上経った今では全然違いますけど。日本のいいギャラリーもいくつかわかるようになりました。し、逆にNYのギャラリー事情は知らない…。

で、speak forなんですが、いい意味でお客さんを放っておいてくれるので、その距離感がとても心地よい。作品とお客さんとスタッフの距離の取り方が丁度良い。作品とスタッフもくっつきすぎてない。ポリシーあるのに開かれてる。という感じですかね。ずいぶん行っていなかったのですが、2月にあったオオシマタカオさんの写真展「U FACE」で、久々に足を運びましたら、物販はなく、B3からB2に移動していたことを除けば、空気感含め全く変わらず、とても落ち着いて見ることができて、気付けばオオシマさんの写真を購入している自分がいました。

ーー

で、現在開催されているのがこちら。





Shoda Masahiro SM展
2010年9月17日(金)- 29日(水)11:00-20:00 毎週木曜休



まず思ったのは、あ、この人同世代だなってことなんですけど、写真に対する愛情みたいなものなのかな?そこに共通する世代感みたいなものがある。やっぱり、写真というものをはじめて意識したときに、そこに既にデジタルがあったか、なかったかというのはとても大きいと私は思っていて(それは音楽についても言えるかもしれないのだけど)、結果としてどちら(あるいは両方)を選択したとしても、それっていうのはもう決定的な違いを生むのですよね。
私はもちろん、大学時代は基本ポケベルって世代ですから。はい。

DMにも使われている、女性が横たわってる写真が私は大好きなのですが、これだけだと一見Purple風というか。でも全然違う。この作品のUneasy Connectionシリーズじたいもそうではなかったし、展示の内容は全部で5つくらいのセクションに分かれていて、全然Purple系の詩的な感じではなかった(もちろん、いい意味で)。
Shodaさんの写真はとても静か。静寂であり、静止であり、特にStreeterのシリーズ(大好き!)は、Philip-Lorca diCorciaのようなしんとした感じがありました。2極化できない何かがそこには在って、それはニュートラルとかいうことではなく……。何なのかなと思っていたのですが、帰ってShodaさんのサイトを見てみたら、そういうメッセージ性があるのかーと納得。

どのように撮られたものでも、写真って、こうして現像して、引き延ばして、自分の目の前でちゃんと対峙して見るっていうのが大事というか、それなくしてどうする!みたいなことを凄く思った展示でした。
2月のオオシマさんの展示のときも思ったけど、やっぱり私は写真が好きなのだなー。でも意外とそういうことを思わせてくれる展示って少ない。おかしなことだけど。

29日までなので、みなさま是非。
ちなみにShodaさんの次は長崎訓子さんだっ!

Sunday, September 12, 2010

006. 木の存在





もともと、私は「木」が好きなのかもしれない。と思う。

生まれ育ったところはどちらかというと海がとても近いのだけど、殆ど行かなかった(今思えば勿体なかった、かもしれない)。
昔から、美術の授業で写生といえば木の絵を描き、写真を撮り始めれば木と空を写し、お香は何よりもサンダルウッドを好み、神社に行けば木に話しかけていた。ような気がする。怖いっつーの。って感じですが。全部無意識に。

だからってナチュラル志向みたいな、カントリーテイストとか全然好きじゃなかったですけども。

海より山のほうが落ち着く、と気がついたのは20歳を過ぎてからで、何か神聖な「しん」としたものを与えてくれるのが「木」であるということに気がついたのは、それよりもっと後のこと、になる。
更に、陰陽五行説でいくと私は「火」で、「木」は「火」を助けてくれる存在らしい。そういうことも関わっているのかもしれない。ということを認識したのは、それよりもっともっと後の、ここ数年のこと。それで思い返すと、色々腑に落ちたりして。
このブログの名前を「Diamond Tree」にした理由もそこにあります。

まぁそれは個人的な話なのですが、木というのはとってもよい存在で、お気に入りの木を探して、定期的に会話したり、抱きついたり(が難しかったら触れたりとか)、変化を感じたりするとパワーがもらえるというのはあるみたいです、一般的に。別に五行が「火」じゃなくてもね。

ちなみに私はシニフィアン・シニフィエの前に居る木がとても好きです、近いところでは。

−−

香りについて。

今や接していて落ち着くのは天然のEO(エッセンシャルオイル)や芳香蒸留水。ですが、天然/人工問わず、香り全般について興味があるし、好き嫌いもはっきりしているほうだと思います。
もともといわゆるフレグランスの世界では、フローラル、グリーン、シプレー、マリン、フルーティ、とか全部好きになれなくて、ウッディとスパイシーだけ。個として興味はあるけど、自分が使うのはそのふたつがベースじゃないと無理。みたいな感じでずっと何年もコムデギャルソン(1)でした。

オーガニックコスメなどに触れるようになってからだいぶ嗜好の幅も広がり、フローラルなんかでも特にダマスクローズやネロリなんかは大好きになり、いわゆるハーブ系全般OKな感じなのですが、やっぱり樹脂や木の香り、スパイシーな香りが最も好きというのは変わらない。
で、天然の世界だと、そういう系の香りのバリエーションが見えるというか。ブラックペッパーやパチュリ、ベチパー、ローズマリー、カルダモン、サイプレス、ホワイトセージ。樹脂系だとベンゾイン、サンダルウッド、ミルラ、そしてフランキンセンス。
そういう香りというのは、瞑想なんかに良いのですよね。精神に深く働きかける感じもとても好みなのだと思う。でもそれが何でなのかというと、もしかしたら木からきているからかもしれない。

何かこう、木の香りとか森の香りとかってなったときに、森林浴とかマイナスイオンみたいな感じに行きがちだけど、それって葉っぱというか。そうでなく、もっと木の幹の香りというのがあるのですよね。
でもそれって再現がとても難しいのだろうなと思う。

例えば香水。
私は天然じゃないとムリ!みたいなタイプではないので、今のところ好みのものを見つけられていて、特に不自由感じていませんが、天然じゃないと絶対にダメ、という人が好みの香水を探すのは至難の業。更に、天然の香りは持続性がないし、フレッシュな状態を保つのも難しい。香りも(香水としては)弱い。
ちなみに、出しているところ、知っている限りでは、アグロナチュラ、ファファラ、パティカ、アンティアンティ、くらいですかね。
こうして作っているところでも概してフローラルが多く、樹脂系の香りで天然の香水なんて、なかなかお目にかからないです。
ま、それだけニーズが少ないということもあるのかもしれないですが。みんなそんなに瞑想とか精神世界とか求めてないですもんね多分。

何かオチの無い感じですが、ほんとはフランキンセンスについて書きたかった。また次回としたいと思います。

Friday, September 10, 2010

005. パピエラボの印鑑



正確には昇文堂の印鑑。
こちらに詳しく説明されとります。

印鑑って、みなさんどうされてるんでしょうか?
私、印鑑とか保険とか印鑑証明とか戸籍とか名義とか貯金とかそーいうのに、ほーんとーうーにー、うとくってですね、全然興味がないというか、気にせず生活してたらこの歳になっちゃったみたいなパターンなのですが、あれは5年くらい前かな。山本印店の話を立て続けに色々な人から聞いた時期がありまして。

山本印店というのは三宿にある印鑑屋で、おっさんがやっているんだけど、今まで使っていた印鑑を持って行くんだよね。で、新しい印鑑を作ってもらう際に、今まで使ってきた印鑑を見せるのだって。そうしたら何故か未来とか色々なことを占ってくれるらしい。占いもさることながら、その印鑑があれば諸々の成功が約束されているのか、前日の昼12時からのみ(!)しか予約を受け付けないにもかかわらず、遠方からも政治家や経営者がこぞって作りに来るとか。ホンマかいな。私の周りにも4〜5人作った人が居て、デザインもすばらしい。というのは知ってる。

私も何度も作ろうとしたのですが、もう、全然繋がらない。電話が。おっさんが念力か何かで選んでるという噂で、呼ばれていれば繋がるということみたいなんだけど。ワンコールで繋がった友達とか居たのだけどなんなのかしらね。まぁそんなこんなで、山本印店の印鑑は作って(というか作れて)いません。でも、山本さんのおかげて印鑑というものに興味を持ちはじめたのは確か。

で、PAPIER LABO.のお店が出来たころ、行ったときにこれだーーー!って。ひとつひとつ、薩摩のつげの木を使って、昇文堂さんにしか彫れない文字で作ってくれるという。

なによりその印鑑から出ている気のようなものが、とてもニュートラルで美しいなと。

改めて考えてみると、印鑑って、やっぱり、すごく大事なものだからというのもあると思うのですが、どうしても「黄色の財布で開運」とか「売りつけられる家系図や壺」だったりとか、何か、これがあなたのこれからの人生を守ってくれますよ、っていうことなんだけど。それがギラギラしているというか(値段的にも)、結局「運」ではなく「幸運」とか「開運」とか「お金」とか「玉の輿」とかですか?そっちに行きがちなものだよなーと。何か金で出来た招き猫や水晶玉みたいに球状に磨かれたパワーストーンなんかとセットです、みたいな。私が苦手だなと思っていた理由というのも多分そこで、言い方が悪いのだけど、そういうツールになりやすい。結局誰かがお金を儲けるためのツールということなのですが。

でも昇文堂の印鑑はそういうのいっさい感じない。もちろんそういう印鑑って沢山あるとは思うのだけど。私が知らないだけで。

というわけで作ったのです。3年前くらいに一度。まーでも訳あって姓が変わりましたのでここでふたたび作ったわけです。訳あってってそれは離婚なんですけどね。

それでもって、また姓が変わったときのために、昇文堂さんには是非印鑑を作り続けてほしいのであります。って、そんな仰々しいときだけでなくとも、プレゼントなんかにもとてもおすすめ。
もう私は山本印店で印鑑を作りたいと思うことはないと思う。(実際「山本印店で作れなかった人が昇文堂の印鑑作るって話はよく聞きます」って当時パピエの方は仰ってました)

とても人気なのと、ひとつひとつ図案考察→手彫りなので、出来上がりまで3ヶ月くらいかかるかな?といったところですが、印鑑をお探しの方、そうそうパピエで作ってみたかったのよね、という方は是非、是非。
なによりこういうものを紹介するPAPIER LABO.のセンスが私は大好きです。

作るプロセスなんかはこちらにも載ってます。

*****
PAPIER LABO.
SAB LETTERPRESS
*****

Saturday, September 4, 2010

004.「モードは掟を破る権利がある」





クレンジングは色々使ってみるのですが、結局ここに戻ってしまう。
シュウウエムラのクレンジングオイル。

シュウウエムラの商品にマスターピースは数あれど、クレンジングオイルはそのなかでも特別。私がこのオイルを使いはじめたときは、まだ黄色いやつ1種類だった、と思う。なのだけど、今ってこんなにあんのね。

6種類だって!みなさん選べるのかしら?
薬用もある。スゴイネー。

この年表を見ると、私が使いはじめて15年以上経ってるということになります。このオイルの他に、こんなに長く使い続けている化粧品ってない。そしてこれからも、他のものを色々試したとしても、クレンジングに関してはここに戻るんだろうなって思っている。接客のときも「会社辞めてもこのクレンジングオイルだけは永遠に使い続けます」って言ってたなー。昔。
(ちなみに2002年に出たオレンジ色のエンリッチドがいちばん好き)







クレンジングオイルは肌に良くない。という説が、ここ何年かでコンスタントに浮上している気がする。毛穴が広がる原因になるとか、肌に刺激になるとか負担になるとか、そんな理由で。根拠や真偽のほどは定かではないけれど、私はこのクレンジングオイルを使い続けて肌が美しい人を何人も知っているし、そういう説を信じたことはない。(他のクレンジングオイルを使う気にあまりなれないのも事実だけど)

ただ「シュウウエムラのクレンジングオイルが苦手」って場合は、だいたい使用量が少ないか、乳化をきちんとやっていないか、のどちらかのような気がする。

とにかくクレンジングオイルは量をケチるとろくなことがない。摩擦による肌への刺激が懸念されるし、乳化もきちんとされないから洗い上がりも気持ち悪い。
シュウウエムラのクレンジングオイルなら4プッシュが基本。この量を肌に伸ばしていくと、なめらかでテクスチャーも最高です。
それから乳化を丁寧にしないまま洗い流すと、これまた肌にオイル感が残ってすっきりしない。当然肌への負担にも。ここは気をつけるべきポイントです。

でも、それされ守ればという感じで、W洗顔はいらないし、マッサージ効果もあって血行促進に繋がるし、ハードなメイククレンジングから洗顔のみの場合まで、どんなケースにも対応。これひとつあると、とても安心なのです。

肌が唯一持っていない能力。それは、汚れを落とすこと。なので、クレンジングはとても大切。逆にちゃんと落としていればあとはどうにでもなる。というのはちょっと乱暴だけど、そのくらいクレンジングは重要です。

あと、シュウウエムラのクレンジングオイルのベースはミネラルオイルなんだけど、これはすなわち石油由来のオイル。で、石油は悪なのかどーなのか、という話になりますが、こちらは答えが出せていないままです(私の中で)。
というか、石油も天然成分だよね?というのは常々思っている。もちろんミネラルオイルというのはそこから精製とか色々されているわけですが、ひとまず肌にとってどうだめなのかというのは全然わからない。
あとは界面活性剤問題。乳化できるということは界面活性剤が配合されているということに他ならないわけですが、私は界面活性剤については反対派ではまったくないです。
このへんの話はまたいつか。いずれもとてもデリケートな問題だと思います。

結局、肌に合う合わないは自分で試してみることが肝要。スキンケアに限らず、化粧品に限らず、なんでもそうなんだと思います。情報は便利だしありがたいものだけど、あくまでも一期一会という感じを忘れないようにしたい。

--

マスターピースって古くならない。
音楽でもそうだけど「そのパクリ」は古く、ダサくなっていくけど、本家本元はいつ聴いても素晴らしい。
化粧品も同じだと思う。例えばRMKのリキッドファンデーションや、アルビオンのスキンコンディショナーなんかもそう。これだけ毎年毎年色々進化している中で、ずっと同じものを売り続けている。当然支持されているからなんだけど。素敵なことだなと思う。し、誤解を恐れずに言えば、本物なんだと思います。

マスターピースを持つブランドは強い。

シュウウエムラに教わったことは沢山ありますが「道具は本物しか使うな」「モードは掟を破る権利がある」というのは身にしみています。
クレンジングオイルも、今でこそスタンダードだけれども、シュウウエムラがハリウッドから日本に持ってきた当時は、コールドクリームで拭き取るのが主流。オイルで顔を洗うなんて!となかなか支持されなかったそうです。

今でこそ、クリームで拭き取ってメイクを落とすなんて、どんなに肌に刺激があるだろう、と思ってしまいます。面白いものです。当時異端だったものがスタンダードになり、マスターピースになる。というストーリーは小気味良く魅力的だけれども、それは今の場所から眺めている(結果がわかっている)から。
リアルタイムで実践出来る人はとても限られているというか。

大竹伸朗さんがMOTで展示をしたときに「やり続ければMOTで展示ができるなんて保証はなにひとつない中で、ひとりで、長い間、どれだけのことを続けられるか。それが出来るか出来ないかなのだ」というようなことを仰っていて、それも同じことだなぁと思います。

Monday, August 30, 2010

003. みれいの部屋



ストロベリー・ジュース・フォーエバー!

と、なんともはっとりさんらしいタイトルの本が出ています。
内容は「なにかいいこと」のオリーブ少女版と申しますか。(ちなみに「なにかいいこと」は暮しの手帖「暮しのヒント集」のオリーブ少女版と言えるわけなのだけど。…とか言ったら怒られちゃうかな。)

とてもよい本だと思います。

はっとりさんは、言わずと知れたmurmur magazineの編集長なのだけど、ブログもすてきです。何度助けられたことか。すごくまっとうなことをしている人だと思います。
もともと、子育てとか教育なんかを専門に編集の仕事をしていたのではなかったかな?最初は「シュタイナー教育といえばはっとりさん」みたいな印象を受けていたのだけど、あれよあれよという間にその印象は更新、更新、また更新され、今では「そーいえばはっとりさんってシュタイナーも好きだったっけ」くらいになってしまった。

本当に、過去は変えられる、ってなもんですね。今の自分が変われば。

はっとりさんの言うことってとっても一貫している。そしてそれは自分のリアルな経験に基づいている。ある意味身体をめちゃくちゃ張ってるし、本人も「人体実験」って言ってる。
例えば冷えとりやアーユルヴェーダやホ・オポノポノなんかを、たぶん人生をかけてやっている。
そういうひとってほんとうに好き。

で、そうやって積み上げたものを、にっこり笑って手放していっている感じが、この本にはとてもよくあらわれている。

とてもわかりやすく、やさしく、ていねいに、よしよしって色々なことを受け入れて、愛して、笑って、でも、心の奥はしんとしている。というのはものすごいことだと思う。まず、当たり前だけど身体がちゃんとしていないとできない。それから覚悟がないとできない。それからもちろん、積み上げていないとできない。

はっとりさんはよく「とても性能のいい、究極の管になりたい」って言っています。スロータスってやつですね。色々なひとの、色々なものを、もっとも良い状態で、流して、伝えていきたい、みたいな。その管の精度をたもち、あげていくために命をかけている、という感じで、たぶんほんとうに天職というか天命なのだろうなと思うし、なんというかとても励みになるのです。
はっとりさんの言葉ひとつひとつが。そして彼女の存在じたいが。

以前どーしようもない(というのもアレなのだけど)恋愛で悩んでいたときはっとりさんに言われたのは「私のこと(ほんとうに)好き?」っていう台詞だけは言ってはいけないよ、ということでした。
(そんなこともこの本の中に書かれております。理由もね)
まぁ「私のこと好き?」とか、自分を大切にしてる人だったら、絶対言わないですよね。普通に。
私は彼女のおかげで、恋愛をひとつきれいに終わらせることができた。ということがあって、ほんとうに感謝してもしきれないのだけど、それはあたらしい、ほんものの自分の始まりだったとも言える。し、そのあたらしい自分っていうのは「パラダイス!」みたいなことではなくて、どちらかというと恐山の修行みたいな。でも、完全に笑顔でできることというか。

上手く言えないのだけど。ほんものがいいです。

この本は、色々なヒントでいっぱいです。若いうちからこんな本に出会っていれば、って羨ましく思ったりもする。かしこく生きるためのバカみたいな本が溢れているなかで、これを手に取ったあなたはおめでとう!って感じ。

ちなみに、今オリーブが存在していたら、どんな内容になっていたんだろう?って思うことが(折にふれて)よくある。
私はオリーブ通ってないんですけどね。なのでひいき目に見たり神格化するようなことはなくて、ちょっとした現象みたいな感じで捉えているのだけど、だからこそ、今のオリーブがこうもなり得る、いやいやこういう風にもなり得る、とか色々考えて楽しむのです。
でも、今、現代版オリーブのいちばんの理想型は、やっぱりmurmurなのではないかな?と思う。

こういう、芯のある、甘いしなやかさで女性が(そして男性も)満たされたら、とっても世界は素敵になると思います。

あと、「なにかいいこと」もそうだったのだけど、私にとってはっとりさんの本は「だれかにあげたくなる本」というか、あげることで完結する本、という感じがしています。で、欲しくなったら、また買う。
そういうところがちょっとYOKO ONOの「グレープフルーツ・ジュース」に似ている。

だから私の中では「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」+「グレープフルーツ・ジュース」というわけ。


ちなみにパティ・スミス仲間でもあるはっとりさん。
愛してます!アヤナより。