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Monday, December 26, 2011

016. 12月のカーテンコール


今年のクリスマスは、とても楽しみにしていたharuka nakamuraのライヴだった。
とにかく今年はいろいろあったから(今年いろいろなかったひとなど、誰もいないだろう)、はるかくんのライヴでも行かなければ次に進めないというか。

震災後、はるかくんとお蕎麦を食べながら(思えばこのひととはいつも蕎麦を食べているような気がする)、私たちにできることってなんなのかね、みたいな話になったのをよく憶えている。

結論は、私たちにできることをする、だった。

はるかくんは、私から見ると、音楽を奏でるためにうまれてきたひとのひとりで、音楽を通してできることをするというのはとても理にかなっているように感じる。実際はるかくんの音楽から希望をもらったり、勇気をもらったりしているひとは沢山いるだろう(それは石川さゆりだって同じことなのだけど)。
震災前と震災後で、わかりやすく生きかたや表現方法などのアプローチががらっと変わったひとというのも多いと思う。それはそれで、尊敬に値することも。でも、そういうことではなくて……というのが私たちの共通の見解だった。
もちろん、震災前に戻ることなどできない。
でもぐるっと一周考えて、目の前にあることをやるというのは、ただ生きるとか、つらいことから目を背けるとか、自分さえよければそれでいいとかいうことではない。むしろ真逆で、その覚悟をもってやるということだ。

私は私で、その後仕事をやめた。で、私なりに「震災後」と向き合って日々過ごしている。まぁ、私の話はどーでもいいですね。

はるかくんは美しいひとだ。美しいものが好きなひとだし、スタイルを持っていてとても丁寧。そして、揺るぎがない。その強靭さを保つための並大抵ではない努力があるだろうし(あるいは、本人にとってそれは努力ではないのかもしれないけれども)、アスリート並みの日々の基礎練が必要とされる。わかりやすい運動メニューとは違った精神の基礎練だ。それを彼がどのように行っているかは隅々までは知らない。けれども、いつも私は、自分の内側をととのえること、自分から出るもの(言葉ひとつとっても)に細心の注意を払っていること、そういうものをはるかくんから痛いほど感じる。

だからこそ、そういった姿勢や彼の表現に拠り所を求めるひとがたくさんいる。

そんなわけで、私にとって今年の年末にはるかくんのライヴをみることは(とってもくだらないことも含めて)いろいろあったことへの浄化や救いであり、同志はがんばってるかねという戦友のような心持ちでもあり、単純にはるかくんのいちファンとしての楽しいイベントでもあったわけです。





JanisからAspidistrafly、CANTUS、そしてはるかくんの順番で、どれもとても素晴らしかったのだけど、私はとにかくAspidistraflyのAprilにやられてしまった。エフェクター切らずにしゃべるMCも含めてすばらしかった。こんなに細くてかわいらしい女の子のどこから、こんな表現が出てくるんだろう? と驚きっぱなし。彼女はシンガポールでKITCHEN. LABELをやっている張本人。あらゆることのセンスに一貫性があって、そのスタンスや美しさ、そして何よりも丁寧さは、はるかくんのそれと重なりまくるのですが(それはサイトを見ると明らかだと思います)、なんか本人を目の前にして、すべてに納得がいったというか。一本の糸で繋がった感じ。

「はるかくんとその愉快な仲間たち」という感覚で挑んだ12月のカーテンコール、だったけど、そこはKITCHENの空間だった。KITCHENは、まるで日本庭園や懐石料理みたいに、異素材がぴったりとはまったジグソーパズルみたいに、過不足なく、一枚の絵として、物語としてそこにあった。

私はあんまり美しすぎるのは苦手なところがあって(グランジだから)、KITCHENもどっぷり浸かることはないだろうというか、すごいロマンチックだと思っていて、アンティーク調なガーリーも苦手だし、そんなものかなって先入観を持っていたけど、本当にごめんなさい!て感じ。
私はいちばん好きなミュージシャンてTara Jane O'Neilなんだけど、その先(というかオリジン)にはJudee SillやJoni Mitchellの存在があるわけで、そういう自分のルーツみたいなのともシンクロしたし、丁寧であることに対するリスペクトというか、あーこのひとがやってるのか、KITCHENを…。とすっと腑に落ちました。


はるかくんのライヴは、自分が自分がって出る感じではなく、みんなに感謝を、という調和的な内容だった。
ピアノの一音と全世界の空気が等価というか、ね。そこで演奏しているはるかくんと、それを聴いているみんなが等価だった。早稲田スコットホールの内側と外側が等価だった。日本と世界が等価だった、という感じ。
ホスピタリティとはまたちょっと違うのだけど、これが僕なりの答えだし、それは愛だと思います、というのが聞こえる感じがした。

KITCHENの音をこの空間で、クリスマスに楽しめるというのはそれだけで贅沢な感じのするものだけど、あまりにもいろいろなものが等価すぎて、私は何よりもそこに感動しました。

それからJanisとはるかくんの違いというか、同じピアノでもぜんぜん違うんだなーとアホみたいなことを今更ながらしみじみ考えてしまった。女は強し、です。(私は 'SOLITUDE' が大好き)

ほんとに。
いろいろありましたね。今年は。
そのひとの内側のものが露見しまくった1年だったな、と思う。みんなそれぞれに自分なりの答えをもって、来年に向かうのだろうな。
まぁほんとにいろんなことがあったけど、感謝しか出てこない。来年はもっと具体的に、今年露見したいろいろなものを活かしてアウトプットしていきたいなと思います。

素敵な夜をほんとうにありがとう。はるかくん、いつもありがとう。

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