Pages

Monday, August 30, 2010

003. みれいの部屋



ストロベリー・ジュース・フォーエバー!

と、なんともはっとりさんらしいタイトルの本が出ています。
内容は「なにかいいこと」のオリーブ少女版と申しますか。(ちなみに「なにかいいこと」は暮しの手帖「暮しのヒント集」のオリーブ少女版と言えるわけなのだけど。…とか言ったら怒られちゃうかな。)

とてもよい本だと思います。

はっとりさんは、言わずと知れたmurmur magazineの編集長なのだけど、ブログもすてきです。何度助けられたことか。すごくまっとうなことをしている人だと思います。
もともと、子育てとか教育なんかを専門に編集の仕事をしていたのではなかったかな?最初は「シュタイナー教育といえばはっとりさん」みたいな印象を受けていたのだけど、あれよあれよという間にその印象は更新、更新、また更新され、今では「そーいえばはっとりさんってシュタイナーも好きだったっけ」くらいになってしまった。

本当に、過去は変えられる、ってなもんですね。今の自分が変われば。

はっとりさんの言うことってとっても一貫している。そしてそれは自分のリアルな経験に基づいている。ある意味身体をめちゃくちゃ張ってるし、本人も「人体実験」って言ってる。
例えば冷えとりやアーユルヴェーダやホ・オポノポノなんかを、たぶん人生をかけてやっている。
そういうひとってほんとうに好き。

で、そうやって積み上げたものを、にっこり笑って手放していっている感じが、この本にはとてもよくあらわれている。

とてもわかりやすく、やさしく、ていねいに、よしよしって色々なことを受け入れて、愛して、笑って、でも、心の奥はしんとしている。というのはものすごいことだと思う。まず、当たり前だけど身体がちゃんとしていないとできない。それから覚悟がないとできない。それからもちろん、積み上げていないとできない。

はっとりさんはよく「とても性能のいい、究極の管になりたい」って言っています。スロータスってやつですね。色々なひとの、色々なものを、もっとも良い状態で、流して、伝えていきたい、みたいな。その管の精度をたもち、あげていくために命をかけている、という感じで、たぶんほんとうに天職というか天命なのだろうなと思うし、なんというかとても励みになるのです。
はっとりさんの言葉ひとつひとつが。そして彼女の存在じたいが。

以前どーしようもない(というのもアレなのだけど)恋愛で悩んでいたときはっとりさんに言われたのは「私のこと(ほんとうに)好き?」っていう台詞だけは言ってはいけないよ、ということでした。
(そんなこともこの本の中に書かれております。理由もね)
まぁ「私のこと好き?」とか、自分を大切にしてる人だったら、絶対言わないですよね。普通に。
私は彼女のおかげで、恋愛をひとつきれいに終わらせることができた。ということがあって、ほんとうに感謝してもしきれないのだけど、それはあたらしい、ほんものの自分の始まりだったとも言える。し、そのあたらしい自分っていうのは「パラダイス!」みたいなことではなくて、どちらかというと恐山の修行みたいな。でも、完全に笑顔でできることというか。

上手く言えないのだけど。ほんものがいいです。

この本は、色々なヒントでいっぱいです。若いうちからこんな本に出会っていれば、って羨ましく思ったりもする。かしこく生きるためのバカみたいな本が溢れているなかで、これを手に取ったあなたはおめでとう!って感じ。

ちなみに、今オリーブが存在していたら、どんな内容になっていたんだろう?って思うことが(折にふれて)よくある。
私はオリーブ通ってないんですけどね。なのでひいき目に見たり神格化するようなことはなくて、ちょっとした現象みたいな感じで捉えているのだけど、だからこそ、今のオリーブがこうもなり得る、いやいやこういう風にもなり得る、とか色々考えて楽しむのです。
でも、今、現代版オリーブのいちばんの理想型は、やっぱりmurmurなのではないかな?と思う。

こういう、芯のある、甘いしなやかさで女性が(そして男性も)満たされたら、とっても世界は素敵になると思います。

あと、「なにかいいこと」もそうだったのだけど、私にとってはっとりさんの本は「だれかにあげたくなる本」というか、あげることで完結する本、という感じがしています。で、欲しくなったら、また買う。
そういうところがちょっとYOKO ONOの「グレープフルーツ・ジュース」に似ている。

だから私の中では「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」+「グレープフルーツ・ジュース」というわけ。


ちなみにパティ・スミス仲間でもあるはっとりさん。
愛してます!アヤナより。

Saturday, August 28, 2010

002. ハルカくんの音楽




「twilight」haruka nakamura

今年もっとも聴いたアルバムは?と訊かれたときの答えがもう決まっております。

--

記憶ということについて考えざるを得ない音楽。というものがある。

「記憶」の定義というのは様々だと思うのだけど、例えば自分の今までの人生の中で出会った色々なこと、みたいな風には私は定義しません。記憶は自分の外側にあると思っているし、そう思うようになったのは割と最近なのだけど、結構な確信となっている、今は。

記憶って、奥底では繋がっているものなのだと思う。あの人の記憶も、あの小鳥の記憶も、あの木の記憶も、ぜんぶ。

そして、そういった膨大な「記憶」が「ノスタルジー」をつくる。という風にも思っている。「記憶」は過去のものだけど、「ノスタルジー」はそうではなくて、もっと時空を越えたもの。というのかな。

私はハルカくんの音楽を聴くといつも、過去と現在と未来は、同時に起こっているのではないか、という感覚にとらわれる。そういうことを思うとき、個人的に「まだ見ぬノスタルジー」という言葉を使っているのだけど、未来を懐かしむ感覚のようなものが、無条件に身体じゅうにぶわーーーっと溢れて、それはもう、涙が出ることもある。という感じなのです。

彼の音楽は、いわゆる、とってもいい音楽で、ていねいにつくられたおいしい食事のように(凍えた身にしみわたる、あたたかいスープのように)、本質的な部分に触れるものを持っている。好きじゃないと言う人は、多分そんなにいないと思う。
でも個人的には、うっかり「いい曲だよね」みたいなことはあんまり言えないというか。怖くて。それは夕暮れの空や、光が反射する湖の水面や、まっすぐに伸びている大きな木なんかに対する気持ちと似ている。「きれいだよね」では何も言いあらわせない。言葉という意味ではなくてね。

つくられたものではなく、生まれたもの。

彼の音楽には「祈り」が沢山出てくる。言葉としても、音としても。それは、凄く個人的なものだと思うし、でも、個人的っていうことは、もちろん、その人だけのことというわけではないんだな。私がハルカくんの音楽をとても好きなのは、そういうことが関係している、と思う。

「祈り」っていうのは、たぶん。

色々な祈りがあると思う。願いでもあるかもしれない。儀式でもあるかもしれない。習慣でもあるかもしれない。
もちろん感謝も。
でも、すべての祈りが向けられている先って「記憶」なのではないかな?と思うのです。

そして、祈りって、光のことなのかもしれない。



どうか、わたしたちの道を、これからもたくさんの光が照らしてくれますように。


*****
CURTAIN CALL. haruka nakamura
*****

Friday, August 27, 2010

001. trilogyのヘアケア

トリロジー
ニュージーランドのブランド。

これだけオーガニック/ナチュラルコスメが世に溢れてくると(その殆どは、溢れる前から存在していたはずなのだけど、こういう印象を持ってしまうのは本当に勝手で、不思議なものだなと思う)、差別化も難しく、トリロジーにいたっては「パッケージがカワイイ、ビューティジャーナリストが立ち上げたナチュラルコスメ」くらいの認識しかなかった。

それは「悪い印象はないけど、そんなに興味を持っていない」ということでもある。

たぶん、きっかけは、オーガニックローズヒップオイルだったと思う。エイジングケアのオイルを探していて、ちょうどぴったりのサイズと値ごろ感で、オーガニック100%っていうのを声高に叫んでなくて(ここ私にとってはけっこうポイントだったりします)正直な気持ちで作られている感じが伝わる商品をみつけて「買うならこれだな」と思った。

その後、トリロジーの方とお話する機会があり、クレンジングクリームやモイスチュアライジングクリームも合わせて購入したのだけど、そのときにヘアケアのトラベルセットみたいなのも一緒に買ったんですね。
で、ずっと放置していたのだけど、先日の出張で使ってみたんです。そうしたら!これがヤバイ!



ヤバイ点は大きくふたつ。まず、シャンプー全然泡立たない。石けんシャンプーとかそういうレベルじゃないです。なにこれ?ってくらい泡立たない。何度洗ってもダメ。こういうもんだとあきらめたほうがいい、潔い泡の立たなさぶりです。
次に仕上がり。髪のツヤ、ハリ、コシ、指通りのなめらかさ、すべてにおいてパーフェクトです。
何か、感覚として、コンディショナーの効果を最大限に発揮するためのベースをシャンプーで作っているって感じか?

「シャンプーに、頭皮だけでなく髪の毛のための栄養分が入っている」とのことだけど、それはあんまりそそられないというか、シャンプーってあくまでも汚れを落とすものだから、栄養とか死んだ細胞(髪の毛)に浸透すんのか?って感じなんですが、なんか、この仕上がりのための道のりってことであのシャンプーもありのような気がする。

ほんとにびっくりした。

ちなみに使用したのはスムースシャインシャンプー同シリーズのコンディショナー

オーガニック系のヘアケア特有の洗い上がりというのがあって、さらさらでもちょっとひっかかりがあったり、しっとりなんだけど時間が経つにつれてちょっとべたつきが感じられたり、というのが殆どなのだけど、程度の差こそあれ、そこは仕方ないのかなと思っていました。でも、トリロジーはそれが全然ないです。というか、すべてにおいて(泡が立たないことも含めて)初体験という感じ。なのです。

--

改めてトリロジーのブランド哲学みたいなものを見てみると、
「私たちはハーブとエッセンシャルオイルの神話を語ることに興味はありません」
「トリロジーの品揃えでは、最高の自然軟化剤(マツヨイグサやローズヒップなどの肌にうるおいを与える成分)とユニークで新しい自然乳化システム、それと精妙にブレンドされたエッセンシャルオイルを合わせたものを使用しています」
「我々はトリロジーのストーリーを、使い古されたかわいい花や植物のイメージなしに語ろうと決めました」
と、なんとも心憎い、クールな姿勢。
自分たちがやるべきことを、しっかりとやっているひとたちの言葉、という感じがします。

オーガニックコスメ、と言われている世界について「どれがいいのか」みたいな話によくなるけれども、答えはあるようでなかったりする。例えばオーガニックやナチュラルなイメージを「上手に」使って見せる手法を取っているところもあれば、全てをオーガニック栽培した原料のみで作るところもある。そこで、前者よりも後者のほうが「優れている」と考えるのは短絡的だとつくづく思う。もちろんそれを求めているひとにとっては優れているのだけれども。

難しいことなのだけど、いいものをつくる仕組みというのは、認証マークついてればいいじゃないかとか、認証マークなんかなくてもちゃんとオーガニックなんだからいいじゃないかとか、そのどちらでもないのではないか、と思ってます。どっちも大切かもしれない。でも本質はそこじゃないというか。

じゃあ本質とは何か、というと、それは極論では笑顔、なのではないかなー。

とりあえず、トリロジーは今後も使っていきたいブランドなのであります。

*****
トリロジーのローズヒップオイルについて 
*****