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Sunday, October 17, 2010

009. モロッコ!





先述のフランキンセンスのお香を探しに。というのもあり、なんとなく惹かれた。というのもあり、私も行きたい!と言ってくれた友達の存在もあり、あり、うーん、ありつつ、今となっては何で行くことになったのか、決定打的なものがちょっと曖昧ではあるのですが、行ってきましたモロッコ。

書きたいことは色々ありますが、この旅で色々思ったこと。を、140文字のTweetにまとめたのはこちら

改めて「気が向く」って凄い言葉。疑って損しないより、信じて損するほうが自分の好み。それぞれの人に与えられている役割がある。初期衝動でどれだけ高く、遠くへ行けるか。上下ではなく、比較ではなく、自分の心の平安。求めるかどうかは別として、全ての物事に意味がある。


友達がすすめてくれた、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」を道中ずっと読んでいて、その影響も大きいです。

詳しくはまたおいおいに。ひとまず、少し写真をこちらにUPしましたのでご興味があれば。
travelsand_morocco_01


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Saturday, October 16, 2010

008. フランキンセンスのちから


フランキンセンスについて書きたいと思いながら、だいぶ経ってしまいました。

フランキンセンスは、別名オリバナムや乳香とも言うのですが、低木で、樹脂からエッセンシャルオイルを取ります。瞑想系の深い香り。もともと樹脂系の香りが好きなのですが、特にサンダルウッドとフランキンセンスは格別。かなり癖になる香りだと私は思います。

で、香りが精神面に働きかける、というだけでなく、具体的にエイジングケアにも効果的なのですよね。ということで、私が長年、どうしてもリピートしてしまう化粧品のうちのひとつに(そういう化粧品、多くはないですが幾つかあるのですよね)、これがあります。

ニールズヤードのフランキンセンスナリッシングクリーム。

もう7年は使っていると思います。
このクリームの歴史は長く、25年くらい?本国イギリスでも(詳細忘れましたが)以前ベストセラーの賞を取っていました、確か。ちょうどエイジングとか気になりまくっていた時期だったのもあって軽い気持ちで買ったんですよね、最初は。ニールズヤードに限りませんが、特に7年前なんて、自然派の化粧品は効かない!が定説。すがる思いで買ったわけではないのは確かです。

このクリームは、とても「とまり」が良い。つまり、伸びが全然良くありません。使いはじめた頃は使用断念を考えたほど。って言うとどんなにボテボテなんだという感じですが、別にきしむとかゴワつく、あるいはベタつくとかではないです。ただ重いの。全然広がってくれない。でも、慣れてくると、両手で顔にピタッ!と密着させることができるようになってきます。
そして、その密着感が、結果、肌のリフトアップ的なものに実感としてあらわれるのです。これは驚きでした。

30歳を前にして、20代後半、ある日突然「肌のハリ」ってこういうことだったのか、と実感する日がやってきます。
それは、本当に衝撃的な体験です。(まだの方はお楽しみに♥)
英会話を勉強しつづけて、ある日するっと会得する瞬間(都市伝説じゃないよね?)とかもこういう感じなのかもしれません。
加齢による現象って、しみ、しわ、乾燥、色々あるけど、私の中で最もショックが大きかったのはこの「たるみ」ですね。あー重力ってほんとにあるんだなみたいな。それは凄く微妙でデリケートなものなんだけど、同世代の人(例えばケイト・モスやアンジェリーナ・ジョリー、シャーリーズ・セロンなど)を見てても、あ、やっぱセレブでも皮膚感は変わるんだなーとかしみじみしちゃったりして。

エイジングケアというのは、いつはじめても早すぎることはないし、遅すぎることはない。それはある意味間違っていない。でもたるみとは何ぞや?となったときに、体感しているかしていないかの差は大きい。それは、しみとかしわにはないことだと思う。そのへんは見た目にもわかりやすいから。
何というか、しみやしわは形状だけど、たるみは質感なのだよね。

まぁ全部ひっくるめて、加齢の現象というのはあまり歓迎されないものですね。でも、もちろんいつまでも20歳みたいなヴィジュアルだったら、それはそれで大変怖いわけだし、もっと「美しい歳のとりかた」を提唱するものがあってもいいのにとはいつも思っています。

で、フランキンセンスがエイジングケアをしてくれるという説は、心の奥深くまで届く香りだし、何だか納得で、ふむふむと思ったわけです。しみやしわは消えないと思うが。
で、香りがやっぱり最高。
もっと他にも、フランキンセンスを使った化粧品があったらいいのに。と、このクリームを使うたび思うのですが、実はニールズヤードの中にも化粧水やセラム、もう一種類のクリームなどあるんですよね。でもあんまり食指が動かない。何故か、このクリームだけ別格なのです。

Wednesday, September 22, 2010

007. speak forとSM展



昔からspeak forが好きです。

あれってもう10年前くらいのような気がするのだけど(最近何でも10年前って言っておけば大体合ってるんですけどこの現象は一体何なのか)、Big MagazineやBLESSの展示など、秀逸で勉強になるものが多かったなー。サイズ感やニュートラルな温度感、日本/海外のバランスとか物販の感じも含め、色々なものが「丁度良い」ギャラリーです。

ギャラリーってなかなかニュートラルな感じのものがない、ニュートラルというと語弊があるけど、モダンということかな?美術館は抵抗ないのに、ギャラリーになるとちょっと退いてしまっていた当時の私にとって、作品を売りつけられるとか、オーナーの好みが(よくも悪くも)反映されすぎているクローズドなスペース、という印象のある場所でした。今は色々ありますけどね。当時も色々あったのかもしれないけど…。銀座の資生堂のギャラリーくらいだったんじゃないですかね、好きなのは。

大学卒業して一週間くらいNYに旅行したことがあるんですが(家族で)、そのときSOHOをひとりで歩いて、こんなにギャラリーってかっこいいものだったんだって衝撃を受けたことがあります。美術館もしかりで、触るのも撮影もある程度自由だったりとか。日本はどうしても「名作を鑑賞させていただきます」「著作権発生しております」みたいな、一見下からの卑屈な目線というか。そういうのがベースにある場合が多くて、しかもそれが当たり前だと思ってたので、エーーーみたいな。

さすがに10年以上経った今では全然違いますけど。日本のいいギャラリーもいくつかわかるようになりました。し、逆にNYのギャラリー事情は知らない…。

で、speak forなんですが、いい意味でお客さんを放っておいてくれるので、その距離感がとても心地よい。作品とお客さんとスタッフの距離の取り方が丁度良い。作品とスタッフもくっつきすぎてない。ポリシーあるのに開かれてる。という感じですかね。ずいぶん行っていなかったのですが、2月にあったオオシマタカオさんの写真展「U FACE」で、久々に足を運びましたら、物販はなく、B3からB2に移動していたことを除けば、空気感含め全く変わらず、とても落ち着いて見ることができて、気付けばオオシマさんの写真を購入している自分がいました。

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で、現在開催されているのがこちら。





Shoda Masahiro SM展
2010年9月17日(金)- 29日(水)11:00-20:00 毎週木曜休



まず思ったのは、あ、この人同世代だなってことなんですけど、写真に対する愛情みたいなものなのかな?そこに共通する世代感みたいなものがある。やっぱり、写真というものをはじめて意識したときに、そこに既にデジタルがあったか、なかったかというのはとても大きいと私は思っていて(それは音楽についても言えるかもしれないのだけど)、結果としてどちら(あるいは両方)を選択したとしても、それっていうのはもう決定的な違いを生むのですよね。
私はもちろん、大学時代は基本ポケベルって世代ですから。はい。

DMにも使われている、女性が横たわってる写真が私は大好きなのですが、これだけだと一見Purple風というか。でも全然違う。この作品のUneasy Connectionシリーズじたいもそうではなかったし、展示の内容は全部で5つくらいのセクションに分かれていて、全然Purple系の詩的な感じではなかった(もちろん、いい意味で)。
Shodaさんの写真はとても静か。静寂であり、静止であり、特にStreeterのシリーズ(大好き!)は、Philip-Lorca diCorciaのようなしんとした感じがありました。2極化できない何かがそこには在って、それはニュートラルとかいうことではなく……。何なのかなと思っていたのですが、帰ってShodaさんのサイトを見てみたら、そういうメッセージ性があるのかーと納得。

どのように撮られたものでも、写真って、こうして現像して、引き延ばして、自分の目の前でちゃんと対峙して見るっていうのが大事というか、それなくしてどうする!みたいなことを凄く思った展示でした。
2月のオオシマさんの展示のときも思ったけど、やっぱり私は写真が好きなのだなー。でも意外とそういうことを思わせてくれる展示って少ない。おかしなことだけど。

29日までなので、みなさま是非。
ちなみにShodaさんの次は長崎訓子さんだっ!

Sunday, September 12, 2010

006. 木の存在





もともと、私は「木」が好きなのかもしれない。と思う。

生まれ育ったところはどちらかというと海がとても近いのだけど、殆ど行かなかった(今思えば勿体なかった、かもしれない)。
昔から、美術の授業で写生といえば木の絵を描き、写真を撮り始めれば木と空を写し、お香は何よりもサンダルウッドを好み、神社に行けば木に話しかけていた。ような気がする。怖いっつーの。って感じですが。全部無意識に。

だからってナチュラル志向みたいな、カントリーテイストとか全然好きじゃなかったですけども。

海より山のほうが落ち着く、と気がついたのは20歳を過ぎてからで、何か神聖な「しん」としたものを与えてくれるのが「木」であるということに気がついたのは、それよりもっと後のこと、になる。
更に、陰陽五行説でいくと私は「火」で、「木」は「火」を助けてくれる存在らしい。そういうことも関わっているのかもしれない。ということを認識したのは、それよりもっともっと後の、ここ数年のこと。それで思い返すと、色々腑に落ちたりして。
このブログの名前を「Diamond Tree」にした理由もそこにあります。

まぁそれは個人的な話なのですが、木というのはとってもよい存在で、お気に入りの木を探して、定期的に会話したり、抱きついたり(が難しかったら触れたりとか)、変化を感じたりするとパワーがもらえるというのはあるみたいです、一般的に。別に五行が「火」じゃなくてもね。

ちなみに私はシニフィアン・シニフィエの前に居る木がとても好きです、近いところでは。

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香りについて。

今や接していて落ち着くのは天然のEO(エッセンシャルオイル)や芳香蒸留水。ですが、天然/人工問わず、香り全般について興味があるし、好き嫌いもはっきりしているほうだと思います。
もともといわゆるフレグランスの世界では、フローラル、グリーン、シプレー、マリン、フルーティ、とか全部好きになれなくて、ウッディとスパイシーだけ。個として興味はあるけど、自分が使うのはそのふたつがベースじゃないと無理。みたいな感じでずっと何年もコムデギャルソン(1)でした。

オーガニックコスメなどに触れるようになってからだいぶ嗜好の幅も広がり、フローラルなんかでも特にダマスクローズやネロリなんかは大好きになり、いわゆるハーブ系全般OKな感じなのですが、やっぱり樹脂や木の香り、スパイシーな香りが最も好きというのは変わらない。
で、天然の世界だと、そういう系の香りのバリエーションが見えるというか。ブラックペッパーやパチュリ、ベチパー、ローズマリー、カルダモン、サイプレス、ホワイトセージ。樹脂系だとベンゾイン、サンダルウッド、ミルラ、そしてフランキンセンス。
そういう香りというのは、瞑想なんかに良いのですよね。精神に深く働きかける感じもとても好みなのだと思う。でもそれが何でなのかというと、もしかしたら木からきているからかもしれない。

何かこう、木の香りとか森の香りとかってなったときに、森林浴とかマイナスイオンみたいな感じに行きがちだけど、それって葉っぱというか。そうでなく、もっと木の幹の香りというのがあるのですよね。
でもそれって再現がとても難しいのだろうなと思う。

例えば香水。
私は天然じゃないとムリ!みたいなタイプではないので、今のところ好みのものを見つけられていて、特に不自由感じていませんが、天然じゃないと絶対にダメ、という人が好みの香水を探すのは至難の業。更に、天然の香りは持続性がないし、フレッシュな状態を保つのも難しい。香りも(香水としては)弱い。
ちなみに、出しているところ、知っている限りでは、アグロナチュラ、ファファラ、パティカ、アンティアンティ、くらいですかね。
こうして作っているところでも概してフローラルが多く、樹脂系の香りで天然の香水なんて、なかなかお目にかからないです。
ま、それだけニーズが少ないということもあるのかもしれないですが。みんなそんなに瞑想とか精神世界とか求めてないですもんね多分。

何かオチの無い感じですが、ほんとはフランキンセンスについて書きたかった。また次回としたいと思います。

Friday, September 10, 2010

005. パピエラボの印鑑



正確には昇文堂の印鑑。
こちらに詳しく説明されとります。

印鑑って、みなさんどうされてるんでしょうか?
私、印鑑とか保険とか印鑑証明とか戸籍とか名義とか貯金とかそーいうのに、ほーんとーうーにー、うとくってですね、全然興味がないというか、気にせず生活してたらこの歳になっちゃったみたいなパターンなのですが、あれは5年くらい前かな。山本印店の話を立て続けに色々な人から聞いた時期がありまして。

山本印店というのは三宿にある印鑑屋で、おっさんがやっているんだけど、今まで使っていた印鑑を持って行くんだよね。で、新しい印鑑を作ってもらう際に、今まで使ってきた印鑑を見せるのだって。そうしたら何故か未来とか色々なことを占ってくれるらしい。占いもさることながら、その印鑑があれば諸々の成功が約束されているのか、前日の昼12時からのみ(!)しか予約を受け付けないにもかかわらず、遠方からも政治家や経営者がこぞって作りに来るとか。ホンマかいな。私の周りにも4〜5人作った人が居て、デザインもすばらしい。というのは知ってる。

私も何度も作ろうとしたのですが、もう、全然繋がらない。電話が。おっさんが念力か何かで選んでるという噂で、呼ばれていれば繋がるということみたいなんだけど。ワンコールで繋がった友達とか居たのだけどなんなのかしらね。まぁそんなこんなで、山本印店の印鑑は作って(というか作れて)いません。でも、山本さんのおかげて印鑑というものに興味を持ちはじめたのは確か。

で、PAPIER LABO.のお店が出来たころ、行ったときにこれだーーー!って。ひとつひとつ、薩摩のつげの木を使って、昇文堂さんにしか彫れない文字で作ってくれるという。

なによりその印鑑から出ている気のようなものが、とてもニュートラルで美しいなと。

改めて考えてみると、印鑑って、やっぱり、すごく大事なものだからというのもあると思うのですが、どうしても「黄色の財布で開運」とか「売りつけられる家系図や壺」だったりとか、何か、これがあなたのこれからの人生を守ってくれますよ、っていうことなんだけど。それがギラギラしているというか(値段的にも)、結局「運」ではなく「幸運」とか「開運」とか「お金」とか「玉の輿」とかですか?そっちに行きがちなものだよなーと。何か金で出来た招き猫や水晶玉みたいに球状に磨かれたパワーストーンなんかとセットです、みたいな。私が苦手だなと思っていた理由というのも多分そこで、言い方が悪いのだけど、そういうツールになりやすい。結局誰かがお金を儲けるためのツールということなのですが。

でも昇文堂の印鑑はそういうのいっさい感じない。もちろんそういう印鑑って沢山あるとは思うのだけど。私が知らないだけで。

というわけで作ったのです。3年前くらいに一度。まーでも訳あって姓が変わりましたのでここでふたたび作ったわけです。訳あってってそれは離婚なんですけどね。

それでもって、また姓が変わったときのために、昇文堂さんには是非印鑑を作り続けてほしいのであります。って、そんな仰々しいときだけでなくとも、プレゼントなんかにもとてもおすすめ。
もう私は山本印店で印鑑を作りたいと思うことはないと思う。(実際「山本印店で作れなかった人が昇文堂の印鑑作るって話はよく聞きます」って当時パピエの方は仰ってました)

とても人気なのと、ひとつひとつ図案考察→手彫りなので、出来上がりまで3ヶ月くらいかかるかな?といったところですが、印鑑をお探しの方、そうそうパピエで作ってみたかったのよね、という方は是非、是非。
なによりこういうものを紹介するPAPIER LABO.のセンスが私は大好きです。

作るプロセスなんかはこちらにも載ってます。

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PAPIER LABO.
SAB LETTERPRESS
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Saturday, September 4, 2010

004.「モードは掟を破る権利がある」





クレンジングは色々使ってみるのですが、結局ここに戻ってしまう。
シュウウエムラのクレンジングオイル。

シュウウエムラの商品にマスターピースは数あれど、クレンジングオイルはそのなかでも特別。私がこのオイルを使いはじめたときは、まだ黄色いやつ1種類だった、と思う。なのだけど、今ってこんなにあんのね

6種類だって!みなさん選べるのかしら?
薬用もある。スゴイネー。

この年表を見ると、私が使いはじめて15年以上経ってるということになります。このオイルの他に、こんなに長く使い続けている化粧品ってない。そしてこれからも、他のものを色々試したとしても、クレンジングに関してはここに戻るんだろうなって思っている。接客のときも「会社辞めてもこのクレンジングオイルだけは永遠に使い続けます」って言ってたなー。昔。
(ちなみに2002年に出たオレンジ色のエンリッチドがいちばん好き)







クレンジングオイルは肌に良くない。という説が、ここ何年かでコンスタントに浮上している気がする。毛穴が広がる原因になるとか、肌に刺激になるとか負担になるとか、そんな理由で。根拠や真偽のほどは定かではないけれど、私はこのクレンジングオイルを使い続けて肌が美しい人を何人も知っているし、そういう説を信じたことはない。(他のクレンジングオイルを使う気にあまりなれないのも事実だけど)

ただ「シュウウエムラのクレンジングオイルが苦手」って場合は、だいたい使用量が少ないか、乳化をきちんとやっていないか、のどちらかのような気がする。

とにかくクレンジングオイルは量をケチるとろくなことがない。摩擦による肌への刺激が懸念されるし、乳化もきちんとされないから洗い上がりも気持ち悪い。
シュウウエムラのクレンジングオイルなら4プッシュが基本。この量を肌に伸ばしていくと、なめらかでテクスチャーも最高です。
それから乳化を丁寧にしないまま洗い流すと、これまた肌にオイル感が残ってすっきりしない。当然肌への負担にも。ここは気をつけるべきポイントです。

でも、それされ守ればという感じで、W洗顔はいらないし、マッサージ効果もあって血行促進に繋がるし、ハードなメイククレンジングから洗顔のみの場合まで、どんなケースにも対応。これひとつあると、とても安心なのです。

肌が唯一持っていない能力。それは、汚れを落とすこと。なので、クレンジングはとても大切。逆にちゃんと落としていればあとはどうにでもなる。というのはちょっと乱暴だけど、そのくらいクレンジングは重要です。

あと、シュウウエムラのクレンジングオイルのベースはミネラルオイルなんだけど、これはすなわち石油由来のオイル。で、石油は悪なのかどーなのか、という話になりますが、こちらは答えが出せていないままです(私の中で)。
というか、石油も天然成分だよね?というのは常々思っている。もちろんミネラルオイルというのはそこから精製とか色々されているわけですが、ひとまず肌にとってどうだめなのかというのは全然わからない。
あとは界面活性剤問題。乳化できるということは界面活性剤が配合されているということに他ならないわけですが、私は界面活性剤については反対派ではまったくないです。
このへんの話はまたいつか。いずれもとてもデリケートな問題だと思います。

結局、肌に合う合わないは自分で試してみることが肝要。スキンケアに限らず、化粧品に限らず、なんでもそうなんだと思います。情報は便利だしありがたいものだけど、あくまでも一期一会という感じを忘れないようにしたい。

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マスターピースって古くならない。
音楽でもそうだけど「そのパクリ」は古く、ダサくなっていくけど、本家本元はいつ聴いても素晴らしい。
化粧品も同じだと思う。例えばRMKのリキッドファンデーションや、アルビオンのスキンコンディショナーなんかもそう。これだけ毎年毎年色々進化している中で、ずっと同じものを売り続けている。当然支持されているからなんだけど。素敵なことだなと思う。し、誤解を恐れずに言えば、本物なんだと思います。

マスターピースを持つブランドは強い。

シュウウエムラに教わったことは沢山ありますが「道具は本物しか使うな」「モードは掟を破る権利がある」というのは身にしみています。
クレンジングオイルも、今でこそスタンダードだけれども、シュウウエムラがハリウッドから日本に持ってきた当時は、コールドクリームで拭き取るのが主流。オイルで顔を洗うなんて!となかなか支持されなかったそうです。

今でこそ、クリームで拭き取ってメイクを落とすなんて、どんなに肌に刺激があるだろう、と思ってしまいます。面白いものです。当時異端だったものがスタンダードになり、マスターピースになる。というストーリーは小気味良く魅力的だけれども、それは今の場所から眺めている(結果がわかっている)から。
リアルタイムで実践出来る人はとても限られているというか。

大竹伸朗さんがMOTで展示をしたときに「やり続ければMOTで展示ができるなんて保証はなにひとつない中で、ひとりで、長い間、どれだけのことを続けられるか。それが出来るか出来ないかなのだ」というようなことを仰っていて、それも同じことだなぁと思います。

Monday, August 30, 2010

003. みれいの部屋



ストロベリー・ジュース・フォーエバー!

と、なんともはっとりさんらしいタイトルの本が出ています。
内容は「なにかいいこと」のオリーブ少女版と申しますか。(ちなみに「なにかいいこと」は暮しの手帖「暮しのヒント集」のオリーブ少女版と言えるわけなのだけど。…とか言ったら怒られちゃうかな。)

とてもよい本だと思います。

はっとりさんは、言わずと知れたmurmur magazineの編集長なのだけど、ブログもすてきです。何度助けられたことか。すごくまっとうなことをしている人だと思います。
もともと、子育てとか教育なんかを専門に編集の仕事をしていたのではなかったかな?最初は「シュタイナー教育といえばはっとりさん」みたいな印象を受けていたのだけど、あれよあれよという間にその印象は更新、更新、また更新され、今では「そーいえばはっとりさんってシュタイナーも好きだったっけ」くらいになってしまった。

本当に、過去は変えられる、ってなもんですね。今の自分が変われば。

はっとりさんの言うことってとっても一貫している。そしてそれは自分のリアルな経験に基づいている。ある意味身体をめちゃくちゃ張ってるし、本人も「人体実験」って言ってる。
例えば冷えとりやアーユルヴェーダやホ・オポノポノなんかを、たぶん人生をかけてやっている。
そういうひとってほんとうに好き。

で、そうやって積み上げたものを、にっこり笑って手放していっている感じが、この本にはとてもよくあらわれている。

とてもわかりやすく、やさしく、ていねいに、よしよしって色々なことを受け入れて、愛して、笑って、でも、心の奥はしんとしている。というのはものすごいことだと思う。まず、当たり前だけど身体がちゃんとしていないとできない。それから覚悟がないとできない。それからもちろん、積み上げていないとできない。

はっとりさんはよく「とても性能のいい、究極の管になりたい」って言っています。スロータスってやつですね。色々なひとの、色々なものを、もっとも良い状態で、流して、伝えていきたい、みたいな。その管の精度をたもち、あげていくために命をかけている、という感じで、たぶんほんとうに天職というか天命なのだろうなと思うし、なんというかとても励みになるのです。
はっとりさんの言葉ひとつひとつが。そして彼女の存在じたいが。

以前どーしようもない(というのもアレなのだけど)恋愛で悩んでいたときはっとりさんに言われたのは「私のこと(ほんとうに)好き?」っていう台詞だけは言ってはいけないよ、ということでした。
(そんなこともこの本の中に書かれております。理由もね)
まぁ「私のこと好き?」とか、自分を大切にしてる人だったら、絶対言わないですよね。普通に。
私は彼女のおかげで、恋愛をひとつきれいに終わらせることができた。ということがあって、ほんとうに感謝してもしきれないのだけど、それはあたらしい、ほんものの自分の始まりだったとも言える。し、そのあたらしい自分っていうのは「パラダイス!」みたいなことではなくて、どちらかというと恐山の修行みたいな。でも、完全に笑顔でできることというか。

上手く言えないのだけど。ほんものがいいです。

この本は、色々なヒントでいっぱいです。若いうちからこんな本に出会っていれば、って羨ましく思ったりもする。かしこく生きるためのバカみたいな本が溢れているなかで、これを手に取ったあなたはおめでとう!って感じ。

ちなみに、今オリーブが存在していたら、どんな内容になっていたんだろう?って思うことが(折にふれて)よくある。
私はオリーブ通ってないんですけどね。なのでひいき目に見たり神格化するようなことはなくて、ちょっとした現象みたいな感じで捉えているのだけど、だからこそ、今のオリーブがこうもなり得る、いやいやこういう風にもなり得る、とか色々考えて楽しむのです。
でも、今、現代版オリーブのいちばんの理想型は、やっぱりmurmurなのではないかな?と思う。

こういう、芯のある、甘いしなやかさで女性が(そして男性も)満たされたら、とっても世界は素敵になると思います。

あと、「なにかいいこと」もそうだったのだけど、私にとってはっとりさんの本は「だれかにあげたくなる本」というか、あげることで完結する本、という感じがしています。で、欲しくなったら、また買う。
そういうところがちょっとYOKO ONOの「グレープフルーツ・ジュース」に似ている。

だから私の中では「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」+「グレープフルーツ・ジュース」というわけ。


ちなみにパティ・スミス仲間でもあるはっとりさん。
愛してます!アヤナより。

Saturday, August 28, 2010

002. ハルカくんの音楽




「twilight」haruka nakamura

今年もっとも聴いたアルバムは?と訊かれたときの答えがもう決まっております。

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記憶ということについて考えざるを得ない音楽。というものがある。

「記憶」の定義というのは様々だと思うのだけど、例えば自分の今までの人生の中で出会った色々なこと、みたいな風には私は定義しません。記憶は自分の外側にあると思っているし、そう思うようになったのは割と最近なのだけど、結構な確信となっている、今は。

記憶って、奥底では繋がっているものなのだと思う。あの人の記憶も、あの小鳥の記憶も、あの木の記憶も、ぜんぶ。

そして、そういった膨大な「記憶」が「ノスタルジー」をつくる。という風にも思っている。「記憶」は過去のものだけど、「ノスタルジー」はそうではなくて、もっと時空を越えたもの。というのかな。

私はハルカくんの音楽を聴くといつも、過去と現在と未来は、同時に起こっているのではないか、という感覚にとらわれる。そういうことを思うとき、個人的に「まだ見ぬノスタルジー」という言葉を使っているのだけど、未来を懐かしむ感覚のようなものが、無条件に身体じゅうにぶわーーーっと溢れて、それはもう、涙が出ることもある。という感じなのです。

彼の音楽は、いわゆる、とってもいい音楽で、ていねいにつくられたおいしい食事のように(凍えた身にしみわたる、あたたかいスープのように)、本質的な部分に触れるものを持っている。好きじゃないと言う人は、多分そんなにいないと思う。
でも個人的には、うっかり「いい曲だよね」みたいなことはあんまり言えないというか。怖くて。それは夕暮れの空や、光が反射する湖の水面や、まっすぐに伸びている大きな木なんかに対する気持ちと似ている。「きれいだよね」では何も言いあらわせない。言葉という意味ではなくてね。

つくられたものではなく、生まれたもの。

彼の音楽には「祈り」が沢山出てくる。言葉としても、音としても。それは、凄く個人的なものだと思うし、でも、個人的っていうことは、もちろん、その人だけのことというわけではないんだな。私がハルカくんの音楽をとても好きなのは、そういうことが関係している、と思う。

「祈り」っていうのは、たぶん。

色々な祈りがあると思う。願いでもあるかもしれない。儀式でもあるかもしれない。習慣でもあるかもしれない。
もちろん感謝も。
でも、すべての祈りが向けられている先って「記憶」なのではないかな?と思うのです。

そして、祈りって、光のことなのかもしれない。



どうか、わたしたちの道を、これからもたくさんの光が照らしてくれますように。


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CURTAIN CALL. haruka nakamura
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Friday, August 27, 2010

001. trilogyのヘアケア

トリロジー
ニュージーランドのブランド。

これだけオーガニック/ナチュラルコスメが世に溢れてくると(その殆どは、溢れる前から存在していたはずなのだけど、こういう印象を持ってしまうのは本当に勝手で、不思議なものだなと思う)、差別化も難しく、トリロジーにいたっては「パッケージがカワイイ、ビューティジャーナリストが立ち上げたナチュラルコスメ」くらいの認識しかなかった。

それは「悪い印象はないけど、そんなに興味を持っていない」ということでもある。

たぶん、きっかけは、オーガニックローズヒップオイルだったと思う。エイジングケアのオイルを探していて、ちょうどぴったりのサイズと値ごろ感で、オーガニック100%っていうのを声高に叫んでなくて(ここ私にとってはけっこうポイントだったりします)正直な気持ちで作られている感じが伝わる商品をみつけて「買うならこれだな」と思った。

その後、トリロジーの方とお話する機会があり、クレンジングクリームやモイスチュアライジングクリームも合わせて購入したのだけど、そのときにヘアケアのトラベルセットみたいなのも一緒に買ったんですね。
で、ずっと放置していたのだけど、先日の出張で使ってみたんです。そうしたら!これがヤバイ!



ヤバイ点は大きくふたつ。まず、シャンプー全然泡立たない。石けんシャンプーとかそういうレベルじゃないです。なにこれ?ってくらい泡立たない。何度洗ってもダメ。こういうもんだとあきらめたほうがいい、潔い泡の立たなさぶりです。
次に仕上がり。髪のツヤ、ハリ、コシ、指通りのなめらかさ、すべてにおいてパーフェクトです。
何か、感覚として、コンディショナーの効果を最大限に発揮するためのベースをシャンプーで作っているって感じか?

「シャンプーに、頭皮だけでなく髪の毛のための栄養分が入っている」とのことだけど、それはあんまりそそられないというか、シャンプーってあくまでも汚れを落とすものだから、栄養とか死んだ細胞(髪の毛)に浸透すんのか?って感じなんですが、なんか、この仕上がりのための道のりってことであのシャンプーもありのような気がする。

ほんとにびっくりした。

ちなみに使用したのはスムースシャインシャンプー同シリーズのコンディショナー

オーガニック系のヘアケア特有の洗い上がりというのがあって、さらさらでもちょっとひっかかりがあったり、しっとりなんだけど時間が経つにつれてちょっとべたつきが感じられたり、というのが殆どなのだけど、程度の差こそあれ、そこは仕方ないのかなと思っていました。でも、トリロジーはそれが全然ないです。というか、すべてにおいて(泡が立たないことも含めて)初体験という感じ。なのです。

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改めてトリロジーのブランド哲学みたいなものを見てみると、
「私たちはハーブとエッセンシャルオイルの神話を語ることに興味はありません」
「トリロジーの品揃えでは、最高の自然軟化剤(マツヨイグサやローズヒップなどの肌にうるおいを与える成分)とユニークで新しい自然乳化システム、それと精妙にブレンドされたエッセンシャルオイルを合わせたものを使用しています」
「我々はトリロジーのストーリーを、使い古されたかわいい花や植物のイメージなしに語ろうと決めました」
と、なんとも心憎い、クールな姿勢。
自分たちがやるべきことを、しっかりとやっているひとたちの言葉、という感じがします。

オーガニックコスメ、と言われている世界について「どれがいいのか」みたいな話によくなるけれども、答えはあるようでなかったりする。例えばオーガニックやナチュラルなイメージを「上手に」使って見せる手法を取っているところもあれば、全てをオーガニック栽培した原料のみで作るところもある。そこで、前者よりも後者のほうが「優れている」と考えるのは短絡的だとつくづく思う。もちろんそれを求めているひとにとっては優れているのだけれども。

難しいことなのだけど、いいものをつくる仕組みというのは、認証マークついてればいいじゃないかとか、認証マークなんかなくてもちゃんとオーガニックなんだからいいじゃないかとか、そのどちらでもないのではないか、と思ってます。どっちも大切かもしれない。でも本質はそこじゃないというか。

じゃあ本質とは何か、というと、それは極論では笑顔、なのではないかなー。

とりあえず、トリロジーは今後も使っていきたいブランドなのであります。

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トリロジーのローズヒップオイルについて 
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